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恐るべきアリシア

図書館で借りたのですが、チリの作家で緑とくれば、M・バルガス=リョサやガルシア・マルケスという南米作家のジャングルの話が頭をよぎりますが、いやいやこの緑はジャングルじゃなくて違うんです。その話は後程として、とにかく驚きました。(以下ネタバレだから未読の人は読まないこと)

紺青(プルシアンブルー)と青酸カリ、窒素と骨との関係は全く知りませんでしし、アウシュビッツの毒ガスを生み出した科学者(フリッツ・ハーバー)がまた空気中から窒素を得る発見をして、一気に肥料が増産され、それは食糧の増産、餓死者を減らし、結果的に人口増に貢献したというのは、なんという皮肉か。

中盤以降は量子力学、の理論物理学者、数学者の登場で勿論ちんぷんかんぷんの所は多いのですが、それでも狂気と紙一重で全く違う次元の学説をたたき出す学者の凄まじさには戦慄しました。

さてそのタイトルの「恐るべき緑」とは緑に雲、緑のガスです。その箇所を無断引用。

「史上初の毒ガス兵器による攻撃は、ベルギーの小さな町イーペル近郊に塹壕を築いていたフランス軍に壊滅的な打撃を与えた。1915年4月22日木曜日の明け方、兵士たちが目を覚ますと、無人地帯を這い寄ってくる巨大な緑色の雲が見えた。高さは人の背丈の2倍ほどで、冬の霧のように濃く、地平線の端から端まで6キロにわたって広がっていた。通過したあとは木の葉が枯れ、空から死んだ鳥が舞い落ち、草は気味の悪い金属の色に変わった。パイナップルと漂白剤に似た香りが兵士たちの様をくすぐったとき、毒ガスは彼らの肺の粘液と反応し、塩酸を生成した。ガスの煙が重壊内にたまっていくにつれて、何百人もの兵士が痙撃を起こし、自らの痰を帳に詰まらせ、口から黄他い泡を吹いて、酸介で真っ青になりながら次々に倒れていった。
(中略)
我々の頭上を飛んでいく銃弾の雨は肩じがたいほどだったが、それもガスを止めることはなかった。風がガスをフランス軍の陣地に向かって運び続けていた。牛の呻き声と馬のいななきが聞こえた。フランス兵たちはなおも撃ち続けた。自分たちが何を撃っているかも見えなかっただろう。15分ほど経つと、銃声がやみ始めた。30分経つと、ときたましか聞こえなくなった。それからまたすべてが静かになった。しばらくすると煙が晴れたので、我々は空になったガス容器を跨いで前進した。我々が目にしたのは完全なる死だった。生きているものは何もなかった。」

科学者たちが生み出すものはその先にあるものに責任を必ずしも追うものではない、それが「恐ろしい」なのではないでしょうか。

さてようやく先日手にしたコーマック・マッカーシーの新作(遺作)2冊のうち「通り過ぎゆく者」を読んでいますが、主人公たちはまさに量子力学、数学の研究者で、「恐るべき」に登場するお歴々の名前も出ています。マッカーシーの最後の作品のサブテキストに最適かも。

「ステラ・マリス」の紹介文は
「1972年。二十歳の数学者アリシアは、自ら望んで精神科病棟へ入院した。医師に問われるままに彼女は語りはじめる――数学と死に魅せられた自身の人生、原爆の開発チームにいた父、早世した母、そして最愛の兄ボビー。静かな対話から、孤高の魂の痛みが浮かび上がる」
と紹介されていますが、まさにこの「恐るべき緑」の科学者たちと重なるんです。

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