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崇徳院と1984

崇徳院という落語がある。とてもほのぼのと可笑しい、よくできた落語であります。私が最初に意識したのは枝雀師匠の噺でした。

この噺の主人公の熊五郎は情報収集をするために「床屋」と「銭湯」を廻る羽目になる。地域の人が集まり、情報のたまり場がこの二つなのだな。その銭湯だが、今は洗い場のカランが全部埋まっているというのも、そんなに多くはないだろう。時代が変わってきているのだな、地元紙には呉のお風呂屋さんだがこうあった。

広島も基町の「平和湯」が廃業したし、サウナブームとはいえ、なかなか日常的なお風呂屋さんは、大変だ。この記事でも重油の値上げの影響も書かれているが、まさかウクライナ侵略戦争の影響で銭湯が廃業とは思わなかったのう。

さて崇徳院だが「われても末に 逢はむとぞ思ふ」という和歌がキーワードというのはご承知と思うが、この所の世界情勢はまさにこういう状態だろう、いや実際は上の句「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」の方だ。
新型コロナの影響でサプライチェーンが繋がらないと大騒動だったが、これはそれまで経済、特に生産のグローバル化が大前提の世界だったからだね。ところがコロナでこのグローバル経済圏が脆いことがわかってしまった。さらにこのウクライナ侵略戦争である。つまり、コロナが勢いづけ、戦争が世界を分断し、轟轟と経済が様変わりしたのだ。もちろんワクチンの配給でも南北問題も表ざたになったのは、金の力でワクチンゲットし、希望者がいないので大量廃棄をしている我が国ではあまり意識しないことかもしれん。

つまり世界はグローバルからブロック経済に変わったと思うのだ。「われても末に」だが、東西冷戦が45年続き、グローバル経済が1990年頃から30年続いたわけだから、今回の政経ブロックの分断はやはり2050年位まで続くのだろう。
そこでこのブロック経済にとどめを刺すのが、中国への米国ら西欧諸国の三下り半のタイミングだ。それが満を持して登場したと思う。

これで西欧は中国と手を切るだろうな。以前から言われてはいたが、このタイミングで出ることに何らかの意思があると思う。
当然中国はフェイクとしてロシアと手を組み、一つの政経ブロックを作る。かつては共産ブロックだったが、今回は皇帝ブロックかな。かたや欧米は人権ブロックとでもいうのだろうか。
完全に二つに分かれ、ロシアに対する経済制裁が手ぬるいということもあったので、経済ブロックも完全に分断され、欧米はドル+ユーロ機軸経済圏、中露は元経済圏で、それ以外の国々はどちらかにつくことになる。それぞれが武力と金でどっちに付くかの踏み石を踏ませるわけだな。
熊五郎が大旦那様から「探し出しせば借金を棒引き、今住んでいる三軒長屋をやる」と報奨に目がくらんだのと同じようなものだ。

我が国は米国の属国だから欧米ブロックに入る。そうなると中露ブロックに生産拠点を持っていた日本企業は這う這うの体で逃げ出すしかない。日本企業は市場としての中露にも、もう手が出せない。もちろん逆に中露企業は、欧米ブロックの市場を無くすことになるから、どっちがいいとは簡単には言えない。
それでもこの影響は日本経済にとって深刻なものになると思う。さらに堂々と政経ブロックの世界になってしまうと国連という存在が無価値になる。国連あって…という前提がなくなる前代未聞、国際連盟の出来た1920年のベルサイユ条約以前、第一次世界大戦前の世界に戻るということなんじゃないだろうか。

オーウェルの1984では世界は三分割された、欧州(ロシア含む)のユーラシア、アメリカ大陸はオセアニア、そして中国(日本含む)のイースタシアだな。なるほど、こういう構図、ブロック政経圏の見立てはそれほど間違ってなかったのかもしれん。さすがオーウェルである。
それでも落語の崇徳院みたいなハッピーエンドは難しいのだろうか。祈りを込めてタイトル写真は伊勢神宮の五十鈴川の御手洗場であります。

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