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誰のための司法か

圧倒されました。NHKは全般的にダメダメで、既にニュースについては信頼感はなく鵜吞みにできません。アナウンサーもいつの間にか民放のキャピキャピ路線に接近中のようで、民放同様視聴者におもねっている感が露骨になっています。
そんな中、ETVは我が道を行くですね。本当にこのETV特集は素晴らしかった。

再放送は今朝(深夜)だったので、見逃した方はNHKプラスでご覧ください。

私も大学では法学部だったので、刑事訴訟法は団藤先生のテキストでした。法学部は「憲法」「民法」「刑法」「債権法」は必修で、刑訴法は選択でした。私はゼミは「国債取引法」だったので、団藤先生との接点は2年の時だけでしたが、私が母校の学部で本当に勉強になったとふりかえると2つ特徴があったと思います。
一つはカトリック系の大学だったので「宗教学」「法哲学」「倫理」という「法の対象である『人』をどうとらえるかということ」を学ぶ機会があったこと。
もう一つは「法という解釈をいかに合理的、理性的に考えるかということ」で、このふたつの背反するような所にこそ、法に携わる、また学ぶ人間の意味があるということだったと思います。
そういうこともこの番組で思い出しました。

直接ではありませんが、こういう番組があるとやはり考えるのは「なぜこの時期にこの番組が放映されたのか」ということ。
もちろん今の司法、特に最高裁判所以下、裁判所の劣化(=国民からの信頼感の凋落)に対するアンチテーゼなのか?と思うのです。

すでに司法の中でも検察に対しては安倍政権・菅政権以降、介入が露骨になり、検察に対する極端に信頼が落ちているのは事実。

加えてこの番組では法務省そのものに対する厳しい指摘があり、それは「入管法の改正」への腰の引けた法務省の姿勢への警告かもしれません。

激しく、また執拗に抵抗する法務省の役人(ご存命で番組に登場)からわかるのは「あんた大阪空港の騒音被害地で一晩も寝たことないだろう」ということ、もしかしたら最高裁判事も同様かも知れません。現地から離れた霞ヶ関や隼町からの判断は、住民を見ない文字からのものだったかと。
その流れは原発、基地に対する司法や政府の姿勢とピッタリ重なります。

さて、いま最高裁の大法廷で憲法判断として審議されているのは「性同一性障害特例法」

LGBTQに関する多くの裁判もまた左右する今回の大法廷だと思うだけに、団藤氏の関わった「大阪空港騒音問題」という公害全般に関わる判例の行末を決定ずけたのと同様に、統一教会などの旧来の家庭の意地を声高に叫ぶ団体をバックにする与党は憲法判断を避けて、差し戻す可能性があるかもしれません。
最高裁によるそのような門前払いはLGBTQだけでなく、同性婚、夫婦別姓についても時代に逆行させることになるのだと、この番組は示しています。
最高裁が門前払いをすれば、政治側は「法的根拠はない」と従来の差別的な判断を続ける「ありがたいご託宣」として使うつもりなのでしょう。

それともう一つ感じたのは「最高裁判所裁判官」の任命についてです。
以前も書きましたが米国も大統領による指名ですが、就任するには米国議会による「指名承認公聴会」をクリアする必要があります。
この指名承認公聴会とは

「米大統領は大臣に相当する各省庁の長官を指名する権限を持つが、直ちに就任させることはできず、議会上院の承認が必要。上院の担当委員会が公聴会で、長官としての資質や適格性などを総合的に判断する。委員会で過半数により承認されると、本会議に回されて再び採決し、過半数で承認が確定。宣誓後、正式就任する。ホワイトハウスのスタッフである大統領首席補佐官などは上院の承認が不要で、大統領の指名だけでポストに就くことができる。」(西日本新聞より)

先年亡くなった「ルース・ベイダー・ギンズバーグ」氏を振り返る映画やドラマ、ドキュメンタリーがあり、氏に対する厳しい公聴会での場面に驚きました。
日本ではこのような場はなく、唯一就任後の衆議院選挙の際に同時に行われる「国民審査」で×をつけるかどうかでしか評価の場はありません。

有識者会議というのも最近乱発されていますが、「なんでこの人?」と思う方も選ばれているように思いますが、それは政府や政治家の意向に唯々諾々と忖度する方々の一覧だろう思ってみています。(ご褒美は名誉欲を満たす役職や勲章)
それもまた有識者の方を事前審査する場がないからです。

政府は有識者会議をシュートカットコースのように使い、彼らがお墨付きを与えたから問題ない、多数意見。とお手軽に使っています。
だから下のような世耕氏の発言の「仲間内」は政府が第三者委員会を「お仲間」でつくっているのだから、天に唾するような笑えるご都合主義発言です。

それでも有識者は「法」とは違う場にいるので、それなりの公聴でいいかもしれませんが、最高裁判所判事はそれじゃまずいでしょう。そんな思いもこの番組から感じました。

団藤先生は2012年に亡くなられましたが、ミサは私の母校の聖イグナチオ教会で行われました。

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