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神話とは作られる嘘か

以前新聞で読んだ消防無線記録には経緯が一言一句書かれていたので、実際には相当早い段階でお亡くなりになっていたのだと思っていた。病院にヘリで運ばれた後、蘇生されたのか、意識はわからなかったが、今回現場・ヘリ・病院の医師の言葉でようやく状況が分かった。

そこで、やっぱり自民党、安倍さんらしいね~と思ったのがこちらの報道だった。

まあ夫婦愛は結構な話だが、先のNHKから考えるに、病院に担ぎ込まれたときから意識はなかったし、実際亡くなる数分前に手を握り返したというのは、奥様がそう思っただけで、事実ではないと思う。もちろん、真偽ではなく、ご自身がそう感じたらそれで十分なことだ。安倍氏もそうだったが、政調会長も白々しい嘘をつくのに心底慣れてるんだろうね。
しかし、あたかもそうだったとして美談にし、夫婦愛を昇華するというのは、いかがなものだろうか。

さらに国葬というのも、これにはびっくりした。インドの首相が事件後すぐに6日間喪に服すというのを聞いてご丁寧なことにと思ったが、国葬とはね。恐らくこれも神格化の一環かもしれないな。逆にインドの首相が亡くなったら、同様に喪に服すのかね?。大体こういう慶弔関係はお互い様なので、以前香典を幾ら頂いたを基準に、逆の場合香典を出す。そういう感じだとインドさんもやり過ぎじゃないかな?

靖国神社は長州が維新の犠牲者の慰霊に作った神社(朝敵の諸藩はもちろん、西南戦争で朝敵になった西郷隆盛は祀られていない)だから、山口四区選出の安倍氏も入る気満々なのだろうか?
靖国神社も合祀の規定を変更して、戦後の内閣総理大臣で国に多大な貢献をし、不幸にして一命を落とした人(安倍氏)も入れるべきだということになり、神様になるんじゃないのかね。ついでにお爺ちゃんも貢献大だったとして合祀を狙ってるのかな?

今回安倍氏の葬儀はとっくに終わってるけど、国葬をするとかでもめている。これについては私は「故人にとってはどうでもいいことだけど、死んでからも世間を騒がせるとはお気の毒に」と思うし、そもそも「こういった国葬は死人には全く関係なく、今生きている人が自分のためにしているのだ」と思う。
社葬とか偲ぶ会なんて言うのはまさにそれだ。「誰が来た、誰が来ない」をチェックされるのがオチだから、国葬も同様に「誰が」「どこが」がチェックされるのだろう。そこには故人に対する想いなどどこにもない。バカバカしいイベントだと思う。
国葬にすべきだという人は、国葬にしたらその人が得をする人。国葬などすべきではないという人は、しない方がその人の得になる。その程度のことだ。

した方が良い人の中には多分「国葬までした人だから、今更観桜会とか、過去のことを言っても」という蓋をすることができるからという儀式でもあるだろう。国会でもいい加減な方便をした方だから、ある意味破れ鍋だったので、死語ももめるような綴じ蓋が送るにはふさわしいのかもしれないな。

しない方が良いという人の中には私のように、死者の意向じゃないことをして何の意味があるのか?という白々しさを感じている人もいるでしょう。
ただし、これは私の基準であって、永田町の基準ではないでしょうね。

さて、岸田首相にとっては、国葬になると葬儀の格が上がるから、一ランク上の各国要人が来られる葬儀ということで、葬儀委員長なのかな?迎える側だから、ビジュアル露出にも良いし、これを機会に要人とそつなく対談も出来るというまことに結構な機会創出でもある。もちろん安部氏寄りの勢力に対するガス抜きでもあるから、美談でも何でもない欲得の国葬ということが実態だと思う。

今日のタイトル写真は広島ならではの光景。安芸門徒の盆灯籠はこういうやつです。白は初盆の人、色付きが通常。もちろん塔婆のケースもあるが、いずれも「○○が来ました」という名刺代わりに名前を入れる。先日親戚の四十九日で坊さんがお経をあげに来て、その際「スーパーとかで買った盆灯籠は色々付いていて廃棄物処理が大変、ごみ処理にはお金もかかるので、うちの寺で購入お願いします」と挨拶したそうだ、なんという坊主だろう。私はこういう本音を恥ずかしげもなく言う風潮が嫌だ。

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