見出し画像

棚守と棚ぼた

会社の近くのビルのリフォームですが、1棟どうなんかな~、と思うところがありました。
それはこの春まで10年以上放置されていたようなビルだったのですが、有名な建築デザイナーが関与するということで、GWにそのビル(ほぼ廃墟)でイベントがあり、その後内外装の工事に入っていました。
ここが凄いのは土日関係なく、また夜遅くまで工事をされていたこと。交代でやっていたのでしょうが、もしかしたらエキスポがらみで免除になっていたのかも(冗談)。

事故がなければいいけどねと思っていましたが、実はこのビルは角地で西側に片側に1車線の道、南側には一方通行の道があります。当社からいえばこの一方通行の道から出るのですが、その出る所で工事をしています。工事をするのは良いのですが、しょっちゅうそのビルの前に資材や、業者の車・トラックが停まっていて、出口から左折・右折するときに全く見えないことが多くあり、こわごわ出ていました。
普通なら長時間中停車する場合は、片側の半分くらい塞ぐので、誘導員を置いて、GOアンド一時停止のお願いをするのが常識だと思いますが、ここは一回もありませんでした。
このビルの向かい側の二棟も同じようなリフォーム工事や建て直しをしていたのですが、こちらは誘導員いましたね。
で、この日は外装の足場の解体で、トラック2台下についていましたが、誘導員や警備員はゼロ。足場解体の下を歩行者が歩いても、無視。

さらに丁度パトカーが来ていたので何か言うかなと思いましたが、行ったり来たりしてみていましたが、結局スルー。何やってんだ。という印象でした。

さてそんな状態でもうすぐ竣工、オープンなんでしょうが、そんな突貫工事、警備の手を抜いたビルなんて行く気になりませんね。
もしかしたら有名なコンサルタントさんもこのクチでしょうか。

稲盛さんの教えから行けば、目新しい内容で一時は良くても、間違ったやり方でリフォームしたビルだからうまくは行かないと思います。

ここは猫屋町という町で、別に三味線用の猫を飼っていたわけではありません。広島市史を見るとこうあります。

「猫屋町
天正開府の時、猫屋九郎右衛門兼鎮と云へる豪商、屋敷を此所に開く。因って町名となる。芸藩通志に七十八戸三百二十七人とあり。
猫屋は姓を加藤と称し、其先は府中松崎八幡宮の棚守たり。
建保の頃、其の邸内に尊神の祠あり、依りて根子屋と唱ふ。ねこ(根子)は尊称の古言なり。根子と猫とは国音相通ずるに由り、後ちに猫屋と書するに至れりと云ふ。」

とあります。「棚守」とは商家の出店の支配人、または店者を監督する役のことなので、松崎八幡宮の不在神主さんの代行みたいなものでしょうか、お寺で言う檀家惣代みたいな感じかな。
それでも猫屋さんの有名なのは材を投じて本川に橋をかけたこと。今の本川橋ですが、元は猫屋橋と呼ばれていたそうです。

このビルのオーナーさんも猫屋さんを見倣って、町内、地域に貢献してほしいものですが、リフォーム会社さんの振る舞いを見る限り、棚守というより棚ぼた狙いの、利己が強い繋がりなのかもしれませんね。

このビルヂングの4階には建設会社が入るらしいので、恐らくこちらのええ加減な工事管理もこちらがやられていたのではと思います。会社のサイトの代表挨拶には

「室町時代の申楽師、現在の能の祖でもある世阿弥の著作の中に、『目前心後、離見の見』という言葉があります。『独りよがりになることなく、常に客観的な目で自分の仕事を見るべし』という姿勢は建設の仕事にも通じるものがあります。仕事に対する自分の強いこだわりは大事ですが、建築というものには事業主様、設計事務所、現場の技術者、その建築物を利用する方々など、多くの人の熱い想いが関わってくるわけです。その目線を共有し尊重しながら、常に客観的に自分の仕事を見ていく力を持たないと、決して良いものは作れません。誠実な仕事で、確かな実績を積みながら、当社は常に「離見の見」を持ち続けるよう努めています。」

とまあありますが、ここにもあるように多くの人には「近隣の人」は無視のようです。なるほどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?