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慰霊登山

私は高校時代、山岳班(母校は部でなく班でした)に入部しました。高1なので15歳の紅顔の美少年(?)。それからいまや65歳のジジイですから、考えてみればもう50年登っていることになります。

去年は海の日の頃に石鎚山、盆休みには大山と登りました。
石鎚はご来光登山で朝3時過ぎに登り始めて、丁度山頂についてしばらくした頃素晴らしいご来光を眺めることが出来ました。

大山もそうしようと同じく3時頃登り始めたのですが、この時は大雨で30分ほど登り引き返し、雨が小雨になった9時頃再度挑戦しました。この時はご来光ではないですが、山頂についたころは晴れ上がり、360度の素晴らしい景色には満足しました。

ただ下りが厳しくて、最初は腿が攣り気味で、それをかばうように歩いていたら膝の方がダメージが大でした。山から下りても半月ほどガクガクと痛みが残ったのは年のせいというよりは、下り方がええかげんだったのが原因でだと思います。

そんな山登りのきっかけが高校の部活でした。
キャンプをし、同じ釜の飯を食い、遠征登山をして…と楽しかった。焚火の前で青臭い馬鹿話をした事も、今の私を作っている大きなところだと思います。

その山岳班に入ったのは、「鈴木君、一緒に山登ろう」と女子から誘われたから。実際は彼女はあっちこっちに声かけていたので、別に私を選んで…というわけではありませんが、悪い気はしないもので「それじゃ、入ってみようか」とふらふらと入部しました。
今となっては、その後も何度か女性に少し鎌をかけられてフラフラという、悪癖の最初だったのかも、と思います。

その山岳班で一緒に何度も山に登った同級生も二人ほど亡くなりました。一人は副班長だったH君。亡くなった年に別の友だちで武田君というのも亡くなったので、その年のお盆には「慰霊登山」と勝手に名付けて、自宅から武田山まで縦走しました。
山を選んだのはH君との思い出、武田山にしたのは武田君にあわせてなんですが。暑い時期で熱中症になる位バテバテで、あやうく二人の世界に引っ張られそうになりました。

今年はその「一緒に登ろう」と誘ってくれた「Iさん」が急逝。
わが班にはPLATEAUという会報があり、後輩がアーカイブしてくれています。


その9号の中に丁度「Iさん」が書いたものがありました。ガリを切って印刷したんですが、それがこちら

「恐羅漢一泊山行

5月5日広島駅九時九分発の快速電車に、私は、山岳班入班後初の1泊山行に胸をはずませて乗り込みました。
ゴールデンウィーク最後の連休とあって車内は人、人、人、その暑いこと。どうしてみんな同じ所へ行きたがるのでしょう。
三段峡で降りて内黒山へ向かいました。1時間も登ったでしょうか、怪しげであった道がついに消滅してしまったのです。それから話に聞いていたヤブコギ。このヤブコギのおもしろかったこと。それまでのイライラがふっとんでしまいました。
稜線に出てからは歩くのみ。内黒山頂についたのは、15時10分。ここで遅い昼食。フランスパンがつぶれていたので、辛い昼食となりました。16時に、下山開始。
16時45分に古屋敷着。ここで15分休憩した後、キャンプ地へ。
キャンプ地までの行程は、2日間を通じて最もつらいものでした。だってスキー場のダラダラした長い坂道を冷酷なサブリーダーがちっとも休まずに登ったのですから。
夕食は他人丼。夕食後、小さな焚き火を囲んで、ゲーム等をしました。S君の修道校歌と、空いっぱいの星はすばらしかった。10時半にテントに入りましたが、ほんの少し離れたところでキャンプしてたH大のワンゲル部のわめき声が耳について、なかなか眠れませんでした。
翌6日は、4時起床。H大生のせいか、私は不覚にも10分寝すごしてしまいました。女子はぐずぐずしていたのでこわ~い班長にチョッピリお小言をもらいました。
4時45分に恐羅漢山へ登山開始。Yさんは足にマメができたので、クツを脱いでクツ下のままで登られました。すばらしい根性です。
5時15分山頂着。山頂から初めて見た日の出はとても綺麗でした。
5時40分に、下り始め、6時にキャンプ場へ着き、すぐに朝食の用意。
ここで私は奇妙な焼き飯を経験しました。何と言うか、つまり作り方も作り方なら、味も味で、あまりに・・・なのです。もう焼き飯はこりごりです。
8時10分にキャンプ場を出て、砥石郷山へむかいました。緑がいっぱいで空気がおいしく、とても気持ちが良かった。
9時55分から、10時10分まで山頂ですごして、下山開始。
11時に田代へ出て、Yさんと、K先生と一所になり、昼食後三段峡をひたすらぶっとばして、3時7分の電車にやっと間に合い帰広。
帰りの電車も満員でした」

まさに50年前の出来事ですから、とても懐かしい!
私もこの時一緒に登り、キャンプしました(朝食の焼き飯は担当ではなかった)。そんな彼女がまさか先に逝くとは…。

で、このお盆の前、山の日に恐羅漢山を登ることにしたのです。あいにく台風6号の影響で前泊とか、ご来光時間の登山等は難しいので、早朝に自宅を出て、雨が小降りになった8時過ぎから登り始めました。

会報にあったようにスキー場を直登する「立山ルート」。さすがにスキー場を登るのはしんどいが、それ以上に羽虫が集ってきて閉口します。
30分くらいでリフト終点、結構登りました。

ここから樹林帯に入りますが、丁度雨がキツくなってブナの下で何度か雨宿り。

40分ほどで分岐に到着、後は尾根道を10分で恐羅漢山の山頂に着きました。ほぼ雨は上がっていましたが、霧で景色はさっぱり。

メインの目的、西方浄土に向いて手を合わせ、同級生2人と、先月亡くなった高校の恩師の冥福を祈りました。

下りは夏焼峠ルートから、こちらは急坂が少なくとても快適なルートで、上にブナの枝がかかっているので、雨よけもバッチリ。40分くらいで峠の分岐に到着しました。

少し下ると今日初めての登山者グループと遭遇、だんだん天候は回復するだろうけで暑くなったら大変かな。
さらに30分歩いて駐車場に戻りました。あいにくの雨でしたが、登れるていどだったし、涙雨かな。
最後に駐車場の車で来た時に寄ったコンビニで買った「焼き飯」をいただきました。50年経つとこうなるんですね。

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