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「荒れ野の90年」

「荒れ野の40年」 ワイツゼッカードイツ連邦大統領演説の一部です。

人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
 今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わ ねばなりません。また助け合えるのであります。
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

私は今のウクライナ侵略戦争を見て強く二つのことを感じます。それは今の善悪のことではなく、我が国がかつて経験したことです。
それは先の大戦の前、朝鮮半島や満州に進出したこと。他人の家に上がり込んだわけですが、その時は朝鮮、満州からアジアにかけての解放というお題目、五族協和であり、大東亜共栄圏でありました。また、列強、特にソ連の進出に対する備えもそこにはあったと学びました。満州の権益を守るというもので満州事変を起こしました。そして日中戦争に拡大し、ABCDラインで物資の供給が困難になり、インドシナ半島を始めとしての太平洋戦争の拡大。戦場は沖縄戦が始まるまではすべて他国でした(空襲は除く)。

これをウクライナとロシアに置き換えてみるのは容易なことです。ロシアはウクライナ東部のロシア人を保護するために進出。これは満州の開拓団の保護と重なります。NATOからの防衛もソ連への備えで重なります。エネルギー問題も当時とは甲乙逆転しますがやはりあります。
ということは私たちは今回のウクライナ侵略戦争から自分の歴史をもう一度色眼鏡なく見る機会に遭遇したと考えられないでしょうか。今のロシアはかつての日本です。ロシアがウクライナという他国の地で侵略しているように、日本は朝鮮、満州、インドシナ半島、フィリピン、南洋諸島と常に自国以外で戦っていました。戦争というのは兵士同士の戦いならまだしも、結局は戦地の住民が巻き込まれます。殺戮、強奪、レイプ、日常が破壊されます。今私たちが聞くウクライナで起きていることはかつて日本が外地でやったことと重なりはしないでしょうか。これが一つ目。

二つ目は、今の世論です。これは日本だけでなくロシア及びそのシンパ以外の世界の国の世論。このウクライナ侵略戦争を見て、なんてひどい。露大統領は何を考えているのか!という論調です。私もそう思います。しかし先程のようにかつての我が国と重ねてみると、世界はかつて日本の満州進出をそう思っていたのではないでしょうか。大元帥である昭和天皇も露大統領と同じように見られていたのではないでしょうか。現実には天皇にはそのような絶対的な権力があるわけではなく、絶対的な権威を軍部が利用したということだったと思いますが、露大統領がそうではないとは言い切れないでしょう。いずれにしてもそれはこの侵略戦争が終わった後の検証になると思います。
ロシアのメディアが偏向的だ、とか、ロシア国民は露大統領を強烈に支持していると報道されていますが、これは戦前の日本の国民の姿であり、メディアの姿ではないでしょうか。つまり今、ロシアに対して日本の国民の大多数が向けている眼は、かつては日本に対して向けられていたものと同じだと思います。

よく歴史問題と言われますが、今年は満州事変の発端1931年の柳条湖事件から90年になります。果たして我が国は過去に目を開いて向き合ってきたでしょうか。私は「否、不十分だった」と思います。
我が国が90年経っても歴史問題に苦しんでいるように、この侵略戦争の戦後処理後、何十年にわたってロシアの国民一人ひとりが苦しむことでしょう。それは大統領や天皇が一人背負うものではなく、国民一人ひとりが背負う責任だからなのだと思います。
ワイツゼッカー大統領が示す「現在にも盲目」にならないように、今回のウクライナ侵略戦争を学ぶものとして捉えなければならないと思います。


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