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経営の同行二人

早いものです、昨年の8月30日に訃報に接した時は驚愕でした。

ご家族等で葬儀を済ませた後の発表というタイミングは、塾長らしい我々へのご連絡だったと思います。

とはいえ数年前から年相応の衰えは拝見していましたし、盛和塾の解散の大会にもご出席いただけなかったので、いずれはこういう日が来るというのもわかってはいました。
昭和2年生まれの私の父が旅立ったのは数えで90歳でしたが、その二年くらい前から急激に衰えてきましたので、その姿が昭和7年生まれの塾長にも重なり、やはり数えで91歳でお亡くなりになったことは頭では冷静に受け止めることが出来たように思います。

稲盛塾長はやはり偉大な経営者、経営哲学の主導者であったと思いますし、その謦咳にわずかでも接していただけに、塾長が一つの基準であり、それから見ると世の中のリーダーの中身のなさにも呆れることも多くありました。
もちろん自分自身どうか?と言われると道半ばであることも間違いなく、それでも死ぬ日までは心を高める努力と続けなければと、自分を叱咤する日々です。

稲盛塾長にはその後、京セラ等の主催によるお別れの会や旧盛和塾で行われた会がありましたが、私は参加しませんでした。だって塾長はそこにおられるわけではなく、私たちが途方にくれたときに、「何を甘いことを!」と耳元で叱る声が聞こえるのですから、いつも我々塾生の身近におられると確信しています。

もちろん稲盛塾長は神でもなく、宗教でもありません。塾長はそれをとても嫌がり、困惑しておられたように思います。「私は一人の中途半端な人間なんだ。だからこそ心を高める努力をする。神であれば中途半端であるはずもないし、自分の足りない所を補おうとするはずもない」そういわれるでしょう。

ですから元盛和塾の塾生としては塾長に示していただいたた困難な経営の道を、ひたすら進むことで良い経営をし、社員や社会に恩返しをするしかありません。そのことが塾長へのご恩に報いることだと思います。

幸運なことに、先ほど書いたように稲盛塾長は今ここにいます。
四国のお遍路さんには「同行二人」いつも弘法大師と共に歩いているという言葉がありますが、まさに我々盛和塾で学んだ塾生は「稲盛塾長」との「同行二人」で日々経営をしているのです。

タイトル写真はこの5月に行った徳島県日和佐町にある、四国八十八ヶ所、第廿三番札所 厄除けの寺 薬王寺の御門前の写真です。

実はここに足を運ぶ機会を頂けたのも徳島市であった旧盛和塾の体験発表会のお陰でした。

また、先週の土曜日は「第3回稲盛和夫研究会・第8 回アメーバ経営学術研究会シンポジウム」があり、今回は「稲盛和夫の経営理念とアメーバ経営 — —その起源と現代的意義」というものでした。
Webinerで参加しましたが、想像した以上に論理だって素晴らしかったです。研究者の方が本当に稲盛塾長の講話を読み込んでいること、またそれをきちんと分析されていたことに圧倒されました。塾長の著書や機関誌、講演を同じように見たり聞いたりしていたはずなのに、いったい自分は何を読んでいたのだろうかと反省しました。

塾長との同行二人の方がたくさんおられることも気づき、心強く思いましたし、もちろんシンポジウムの内容は、人に話す時に参考にしたいと思います。


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