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共生の基盤

カルロ・ロヴェッリの新著は、文系の私には難しいところも多くあるがうなづけるところも多い。

この項もそうです。一部抜き書きします。

共生の基盤は法律である

「エルネスト・ガリ・デッラ・ロッジアは『コリエーレ・デッラ・セーラ』紙で、難民や移民の社会への統合に関するいくつかの考えを表明した。
彼がそのコラムで挙げた論点のなかに、次のようなものがある。
第一に、わたしたちの社会は、社会的に許容される振る舞いによって定まる価値および規則の体系によって主導されるべきで、外から来た人々にはその体系に順応することを求めるべきである、ということ。
第二に、一つの文化を有する場合、その文化を丸ごとほかの文化に順応させることはほぼ不可能なので、多文化社会など存在し得ない、ということ。
ここでは、これらの問題を巡る別の視点を紹介したい。

わたしたちの社会は法律によって規定されるべきであって、社会的に許されている振る舞いなどに基づく個人の価値や判断の体系によって規定されるべきではない、とわたしは考える。まさにこれが法律の感覚であって、わたしたちが偉大なるローマ帝国-多様性に寛容な多文化社会の典型的な例-から受け継いだ遺産なのだ。法律は、何が許されないのかを厳密に規定する。
わたし自身は、法律によって合法でないことが透明かつ明確な形で制裁を受ける社会で暮らしたい。『社会的に許されている振る舞い』や『共有されている価値』といった曖昧なもののなかに放置されたくない。
なぜかというと、国籍が同じでも価値観が同じとは限らないからだ。社会的に許されている振る舞いに関しても、わたしたちはそれぞれ異なる意見を持っている。ほぼ確実に-いや、『確実に』といってよいだろう-たとえばガリ・デッラ・ロッジアとわたしの価値観はいくつかの点で異なっていて、自分が良い、あるいは悪いと考える振る舞いについての判断が分かれる。それでも平和に共存し、互いに敬意を払い、相手も法律を尊重すると思っている。
法律を尊重しない場合は、警察や司法制度が介入する。法律は政治家によって議論されてきており、この国の多様な文化の間で絶えず調停が行われてきたことを表している。自分たちの社会が、法律ではなく「社会的に許されている振る舞い」によって律されるべきだ、という考えを支持すると、前近代-規範が明文化されておらず、謎めいた形で宙に漂い、人々が法律を破らなくても罰せられていた時代-の危険なイデオロギーに回帰することになってしまう。法律に反する振る舞いは罰せられるべきで、誰一人として『異邦人だから』という理由で許されてはならない、という点はガリ・デッラ・ロッジアのいうとおりだ。だがそれは、あくまでも法律を破ったからなのだ。市民だって法律を破れば罰せられるわけで、出自の如何とは関係ない。わたしたちのこの国で暮らすためにやってきた人々に向かって、価値観や振る舞いや習慣や文化、さらにひどいことに宗教まで変えろというべきではない。イタリア市民に求められているように、法律を尊重することだけを求めるべきなのだ。」

カルロの「わたしたちの社会は法律によって規定されるべきであって、社会的に許されている振る舞いなどに基づく個人の価値や判断の体系によって規定されるべきではない」は正にその通りで、ジェンダーや見た目で規定されてはならないと思う。

特に海外からの人に対する偏見。これは江戸時代の鎖国がベースにあるのか、あるいは「ムラ」意識によるものなのか、いやいや先日の100分de名著の「宮本常一」氏を見ると、都会と地方の社会構造が生んだものなのかもしれない。
カルロ氏の本にこんな箇所もある。

セネガルの田舎を廻って「ンブール」という都会に戻ったカルロ・ロヴェッリは礼拝の時間が終わったばかりのモスクに入り、そこで圧倒的な何かを感じる。その箇所を抜き出します

アフリカでの一日

「すでに、ほとんどの人が立ち去っていた。まだ数人が残っていたが、空間はいかにも広大で、まるで偉大なる空のようだった。偉大なる平穏の-偉大なる沈黙の空。わたしは床に敷かれたラグに腰を下ろすと、壁に寄りかかった。建物の外の世界とは、まるで正反対だ。外は地獄で、中は天国。すべてが一点の曇りもなく、非の打ち所もなく、清潔で。壁も柱も真っ白に塗られ、つやつやしている。長く簡素で優美で魅力的なカーペットは、緑と黒の厳めしいアラベスク模様で飾られ、規則正しく平行に並んでいる。光は隅々まで届き、それでいて澄んでいる。アーチや柱が視線を上に誘い、心を浮き立たせる。まだ中に残っているわずかな人々は、西洋の教会と違って、特に声を落とすでもなく普通に話している。だがその口調は穏やかで、高貴とすらいえそうだ。家具もなければ、けばけばしさもなく、富をひけらかすでもなく、十字架のうえの苦悶の像も、ろうそくも、曖昧さも、恍惚となった顔を描いた古い絵も、宝石もない。そこにあるのは落ち着いた大きな空間のみ。人々を迎え入れようとする空間、人間的な、きわめて人間的な、人間存在の核が本質的な何か-絶対的な何か-に向かって引き寄せられる場があるだけだ。
そして突然、ほんの一瞬、このアフリカという場所の核心を垣間見たような気がした。苦しみが多く、貧しく、埃にまみれ、混沌としたこのアフリカは、その懐のわたしにとってもっとも近寄り難く思える場所に、威厳に満ちたこれらの穏やかな男たちを、そしてこの、男たちが丸ごとの自分として心の平安を得られる完璧な空間の奇跡を隠していたのだ。それは、わたしがほかではまったく見たことのない、深い平穏に満たされた場所だった。そして一瞬わたしにも-ためらうことなく無神論者だと断言できるこのわたしにも-あれほど多くの人々にとって、父ではない真に完璧な絶対的存在としての全能の神に我が身を捧げるということが何を意味するのかわかった気がした。
モスクを後にするわたしの心は平穏だった。おそらくそれは、昼間の暑さや移動や脱水状態、さまざまな出合いやストレス、さらには漠たる疲労に対しての単なる身体反応だったのだろう。
あるいはことによると、人間のとほうもない複雑さに関する何か-ちっぽけな何かを、実際に学んだのかもしれない。」


これは私が昔バングラデシュのダッカにあるモスクに1人迷い込んだときの感想と全く同じ。
実は先の「共生の基盤は法律である」の後段は多文化社会について書かれており、そこでは

自分たちの生き方とは異なる良き生き方が無数にある、ということを考えに入れるだけのこと。多様性と寛容からは、共に同じ市民であるという感覚が生じ、共通の新たな多元化アイデンティティーが生まれる」

まさにカルロ・ロヴェッリがモスクで感じたこと。多文化を受け入れない人は最初からモスクに足を運ばないだろうし、また入ったとしても違いばかり目につき、それを障害と感じ、このような感想を得ることは出来ないでしょう。

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