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眠っているのは私たち

79年目の原爆記念日。8時15分にはこの場所で亡くなった方(以前の当社の場所の持ち主)の慰霊の思いを込めてお線香を灯し黙祷しました。
その後今年の式典のスピーチを聞きました。

私なりに評価させていただくと

広島市長 10点(読んでいる感が満載で気持ちがない、きれいごとの羅列、ゴルバチョフの引用は唐突だが、自分の思いがない表れかと)

子ども 70点(上手だけれど、誰が作文したのか、自分の未来への思いが薄い)

首相 5点(自分がやったパフォーマンスの羅列、思いはないし、最悪なのは広島と全く関係を感じないので0点でしたが、前首相のような原稿の読み飛ばしがなかったご褒美の5点)

県知事 90点(昨年から腰が据わってきた感じがする。彼だけが具体的な提案を入れている所、沖縄への思いも含まれている点も自分の思いが感じられる)

ということで、市長と首相は落第でしょう。このスピーチが世界中に流れるかと思うと、リーダーが口舌の徒であることを披露している感じで恥ずかしい。

特に首相は終戦記念日(敗戦記念日)で戦争についての話もせねばならないが、過去の我が国の内外に対する戦争犯罪、過ちの贖罪を8割、現在の世界情勢に対する意思を2割の割合で話してもらいたいと思うが、彼のことだから過去の振り返り(贖罪ではない)が1割、世界に転嫁した話が9割と推測します。ちゃんと岸田ノートを読み返し(白紙か?)もっと勉強して欲しい。
総裁選挙に頭が一杯なのだろうけれど、この番組も見たらどうなのかね。

先日この番組を見ました。加計呂麻島とくれば「死の棘」の作家島尾敏雄が思い出され、当然ながら妻の島尾ミホも思い浮かびます。

ミホの方は梯久美子氏で知ったのですが

さてその次(本日)は「似島 1万人の被爆者が運ばれた島」でしたが、これは第二県女の本にも登場した島であります。

ところで島尾ミホの本ですが、これまた終戦記念日に向けて梯久美子氏の新刊を買ったところでした。

こちらで紹介されている13ミュージアムのうち7つしか行っていません。その7つは

大久野島毒ガス資料館
周南市回天記念館
東京大空襲・戦災資料センター
原爆の図丸木美術館
長崎原爆資料館
舞鶴引揚記念館
都立第五福竜丸展示館

しかしこれを読んで思ったのは長崎原爆資料館はあっても広島の平和資料館がない事。私もやはり怒りの広島、祈りの長崎という空気を感じて長崎の資料館の印象の方が深いですが、それ以外の6つも行かねばと思います。

梯氏の本で印象的だったのは東京大空襲・戦災資料センターの所にあった「石垣りん」氏の詩

弔詞

ここに書かれた一つの名前から、ひとりの人が立ち上がる。

ああ、あなたでしたね。
あなたも死んだのでしたね。

活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。悲惨にとぢられたひとりの人生。

たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。1945年3月10日の大空襲に、母親と抱き合ってドブのなかで死んでいた。私の仲間。

あなたはいま、
どのような眠りを、
眠っているだろうか。
そして私はどのように、さめているというのか?

死者の記憶が遠ざかる時、
同じ速度で、死は私たちに近づく。
戦争が終わって二十年、もうここに並んだ死者たちのことを覚えている人も職場に少ない。

死者は静かに立ち上がる。
さみしい笑顔で、
この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発とうとしている。

私は呼びかける。
西脇さん、
水町さん、
みんな、ここに戻ってください。
どのようにして戦争に巻き込まれ、
どのようにして死なねばならなかったか。
語ってください。

戦争の記憶が遠ざかるとき、
戦争がまた
私たちに近づく。
そうでなければ良い。

8月15日、
眠っているのは私たち。
苦しみにさめているのは、
あなたたち。
行かないでください、皆さん。どうか、ここに居て下さい。

広島市長、岸田君共にこの詩を噛みしめられたい。

今年も19時から原爆ドーム前でピースキャンドルを灯しました。

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