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名前を答えてはいけないあの人

テデスキ・トラックス・バンドの新しい一連の4作品は、アラビアのお話「ライラとマジュヌーン」がバックにあるというのは書いたが、ここで驚いたことの一つにマジュヌーンが愛するライラに詩を送るのだが、朗々と歌い上げるのだな。まことに結構なことと思ったのだが、当時アラビアでは人の名前を詩に入れて歌い上げることは誠に無礼な振る舞いとして許されなかった。当然ライラの親父がそれを知り激怒して二人の仲を裂き、戦争がおきたりマジュヌーンは気がふれて荒野の隠者となるのである。

先日読んだ「折口信夫『まれびと』の発見」(上野誠)であるが、上野氏も万葉集の研究者ということもあるだろうが、「相聞歌」の項に折口氏の文の一部があった。
「こひ歌ということは、相手の魂をひきつけること。たま迎への歌ということだ」
とあり、上野氏は補足として
「恋歌というのは『魂ごひの歌』。つまり相手の魂を引き寄せるための歌」なんだな。
さらに折口氏の
「對者が魂ごひをすると、その商魂の力によって、こちらの魂は、彼の身に這入る。魂を招きとったほうが勝ちである」
を紹介し
「古代では、男性は女性に結婚を申しこもうとした場合、まず相手の女性の名前を聞き出そうとします。女性が男性に対して自分の名前を教えた場合には、それは結婚を承諾したことを意味します。名前を教えることは、相手に魂を献上することになるからです」

これって「ライラとマジュヌーン」と同じじゃないか、いやまてよ万葉集の歌には特定できる個人名は入っていないのか、いやまったく気がつかなかった。確かに詠み人は名前があるが、例えば有名な雄略天皇の
「籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち
この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね 
そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ 
しきなべて 我こそいませ
我こそは 告らめ 家をも名をも」

は名前を聞く歌だが、名前を教えると結婚承諾ということになる。そりゃ地位の高い人だろうけど、初対面のナンパ野郎に言うわけないよね。
「名前を呼んではいけないあの人」はヴォルデモート卿であるが、うかつに「名前を答えてはいけない」んだよね。まあ「白波五人男」みたいに

「問われて名乗るもおこがましいが、産まれは遠州浜松在、十四の年から親に放れ、身の生業も白浪の沖を越えたる夜働き、盗みはすれど非道はせず、人に情を掛川から金谷をかけて宿々で、義賊と噂高札に廻る配附の盥越し、危ねえその身の境界も最早四十に、人間の定めはわずか五十年、六十余州に隠れのねえ賊徒の首領の『口パクパクパク(ナイショ)』」っていうのがいいかも。

という気持ちを持ちつつテデスキ・トラックス・バンドの「I Am The Moon: I. Crescent」と「Ⅱ.Ascention」を聞きました。
今日の背景は月じゃなくて、満月に見える天津飯、広島名物であります

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