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営業テリトリー?

会社のある堺町には氏神様が二つある。一つは広瀬神社でもう一つは空鞘稲生神社であります。この二つは数百メートルしか離れていないが、共にこの地区では由緒があります。広島は三角州の町で、毛利さんが吉田から広島に居城を移し、その後どんどん干拓や埋め立てで海の方に広がり、今の広島市の形になりましたが、当社のある場所は大広瀬島とも呼ばれる洲で、今の寺町・中広からずーっと南に下り江波迄の南北長い洲なのだが、毛利さんが来た頃はせいぜい今の平和大通りまでで、それから南は徐々に広がっていったのだな。また今の空港通は福島川という川を埋め立てたものだが雲石街道(今の寺町通りの一本東よりの通り)から西側、福島川までのエリアを南に下がっていく一帯が氏子ゾーン(?)で、観音新町にある黄魂彦神社(西税務署の北側)も広瀬神社さんが見ておられます。

一方空鞘さんは、雲石街道から東ゾーン、で平和公園から吉島にかけてが氏子ゾーン。こちらも戦前は大繁華街の氏子があったが、今の平和公園の場所だったので、戦後は大打撃(氏子がいなくなった)であったと空鞘の神主さんから聞いたことがある。

で、当社の場所は本来なら雲石街道から若干東にあるので、空鞘ゾーンのはずなのだが、なぜかしら広瀬ゾーンに属している。まあこの界隈は神輿で練り歩くわけじゃないし(亥の子祭りはあります)、今はごちゃごちゃの混在ゾーンになっているのだそうけどね。営業テリトリーならぬ氏子テリトリーっていうのもあったろうけど、ショバ争いで神様同士が喧嘩するわけにはいかんからな。

さてその広瀬神社さんの前の宮司さんが95歳でお亡くなりになり、神式のご葬儀に参列してまいりました。仏式とは違うが(香典でなく玉串料)、まあそれほど違うわけじゃないし、普通の神事の心得と違うのは二拍手の時に、音を立てないで打つ(叩いたふり?)ということくらいでしょうか。ただ今回驚いたのはこちらの前の宮司さんは邇保姫神社の息子さん(次男さん)だったんだね。そういえば昔は常駐ではなく、他から来られていたな。前宮司さんは中学の先生も長年勤めて、サッカー指導者としても有名だったそう、その合間(?)に広瀬神社も見ておられたのだ。偉いねえ~。弔電に岸田総理大臣から来ていたが、あれは岸田氏が邇保姫神社の顧問だからかな、何かと大変ですな。

ちなみに今の広瀬神社の宮司さんは胡子大祭の胡子神社も兼務で見ておられます。こちらも賽銭は多かろうが、コロナの「密」対策で何かと大変なんだろうね。

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