“ほんとう”

当たり前のことなのに気がついていなくてハッとした。日曜の朝やっていた「小野和子」さんの番組を見たからだ。

全く存じ上げなかったが、小野さんは東北(宮城)のお年寄りを訪ねて民話を聞かれて、それを記録に残されている。もちろん本にもなっているようだ。とても興味深く印象的な番組だった、再放送が土曜日にあるので、ご覧になるか録画されるとよろしかろう。

私は「民話」といえば「昔々…」の子ども向けのお話と思っていたが、もちろんそのジャンルはあるけれど、それぞれのお年寄りの経験された話も、もちろん「民話」なのだ。

「昔々」の話は多くが事実に基づいているが、それが普遍性を持つように加工されているものもあるだろう。でもこれは”フェイク”といえるのだろうか?自分の心の深い所から離される「民話」は”事実”であるなしではなく、間違いなく“ほんとう”の話なのだ。中で「猿の嫁」の話をお婆さんがされたが、聞き手の「小野」さんと「お婆さん」では全く受け止め方が違う。なぜそう思うのかを語られることにより、その「猿の嫁」の話の心情の“ほんとう”さがわかる。


この番組でも紹介された「鬼打木」は宮城の門松に添えられている割り木のいわれについての話だった。人と鬼との間に生まれた子どもの苦悩に基づいているけれど、恐らく様々な階級間での差別、区別を鬼と人に置き換えているのだろう。本当は当時どのような差別や悲しみがあったのかという記録と重ね合わせるのが良いのだろうが、なかなかそのようなものは残っていないだろうし、「民話」の形でしか伝わっていかないのかと思う。それでもこの「民話」を聞くことによって、正月の門松を見るたびにいわれなき差別は許されないというアイコンとして見ることができる。


丁度この番組を見る前だったが、先日義父に昔の話を聞いた。女房も知らない新事実が続出してとても興味深かった。決して話し上手な義父ではないし、世間様に知っていただくような話でもないのだが、義父の家庭のかつての大事な記憶が口から語られていることは、私たち家族にとって大事な民話の一つなのだと思ったし、何らかの形で残したいと思ったのだ。

そうだ、番組ではこの小野さんが東日本大震災の被災の記憶を語る会を、海の見える場所で開催したことも紹介されていた。主催の学芸員さんは「あんな津波があったのに、その海の隣でやるとは、なんてパンクなんだ!」といっていたが、そのパンクな設定が、生存者の心の深いところから言葉を引き出している。凄い!今の「民話」を引き出していくのを見て感激した。

https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/Q85Q52JQP7/

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