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トシヤスポーツの秘かな愉しみ

うんうん、そう思うそう思う。

私はその辺の食い物やさんが大好き。広島だからお好み焼屋は町内に何軒もあるが、最近の行列ができるお好み焼屋は呆れる次第です。
広島の高校生は誰しも同じだったろうが、二時間目の前に弁当を食べ、昼休みに学食でうどんを食い、放課後部活前にお好み焼きを食いに外に出る。これが普通、いや順番が変わることもありましたが。

テイクアウト?ああ持ち帰りね、当時もありましたが、私が大人になっても近所だったら皿をもって行ってたし(まことにSDGs)、遠い時は竹の皮に包んで、新聞紙でくるみ、輪ゴムで止めてました。今みたいにパックに入れることはないので、竹の皮から皿に移して食べてましたね。そのまま食べると行儀が悪い!と怒られていましたわ。

マキタスポーツ氏が前日のほうとうを飯の上に載せ、と言っていますが、私の思い出飯はバター醤油飯です。学生時代は山に登っていたのですが、金がないから基本テント、昼は携行パンだけど朝晩は自炊、特に朝は夜が明ける前の早朝に起き、パパッと食べて片付けて出発。というのが当たり前だったので、食べるのも早くなったし、毎朝快便の習慣もついたのはこのあたりの訓練の賜物かと。
そんな朝ですが、飯盒で炊いた飯にバターと醤油をぶち込んでグルグルとかき混ぜて、ワシワシとかきこむ。当然ながらあっという間に朝飯は終了し、出発です。
この温かい炊き立ての白飯にバタ臭いバター、風味の宝箱の醤油とくれば、本当に一日スタートの活力でした。でもこのバター醤油飯は品がないとか、今はカロリー過多で、女房は許してくれません。
そうそう、時々弁当がない時に、近所のスーパーでシーチキンの缶詰と白飯を買い、会社のレンジで白飯をチンして、シーチキンを油ごと上に載せ、さらに醬油をかけて食べるという学生メシをすることが年に二回ほどあります。その衝動は抑えきれないな。

もちろん汁物の残りが少なくなったものを飯の茶碗にかける(逆もあり)のは常。品がないのかもしれないが、よく禅僧がお茶碗にお茶やお漬物を入れてきれいにし、洗い物を減らすのと何が違うのか?これもSDGsでしょ。

もちろん食べ方も先ほどワシワシとかきこむと書いたが、これは山登りだけでなく当時見ていた「木枯し紋次郎」の影響は大。紋次郎役の中村敦夫が峠の一膳めし屋で一心不乱に飯をかきこむのである。これはどこで悪役が出て来るかわからないので、油断していない姿を現していたのだ。ニヒルな紋次郎の姿にあこがれたものの、習得したのはワシワシだけでありました。

私はマキタスポーツ氏のように、別に名前の通っている店、グルメサイトで☆が付いている店には全く興味がない。信じているのは自分の胃袋と舌と鼻だけ。もちろんうまくない店にあたることもあるが、まあ何ごとも丸があればバツもある。漫然とチェーン店に行っても変わった味など経験できないし、行列があったり予約以外お断りの店は、オーナーやメディアの人の舌で決めているのであって、私の舌ではない。
そうそう、長年の経験でいえば、あまりおいしくないな~と感じたら5回噛むのを10回に増やせば、少し美味しくなる。

そうだ、茨木のり子氏の「詩のこころを読む」を久々に読み返していますが、その中に「値段ごっこ」という言葉があり、詩の値段って?という話なのですが

「ダイヤモンドやミンクの毛皮は、身につけたいとは思わないから、もらったとしても、がらくたなみ。一般には人間も、学歴や社会的地位で価値が決まるようですが、私のランク表によれば、役立たずのダメ人間とされている人が、すこぶる高みの椅子に座っていたりします。」

これと同じで自分の舌と胃と目と鼻が付ける価値を信じれば良いことでしょう。

そうそう無性に「これ食べたい」という事は誰にもあると思います。
先日無性に食いたいと頭をよぎり、何軒か買いに行ってゲット出来ず、といって作って欲しいとまでは思わなかったが、しかし夢に出てしまったのが「イカリングでビール」。
ゲットしました、感無量です(^ ^)


NHKで「京都人の秘かな愉しみ」というドラマがありましたが、それを拝借すると「トシヤスポーツの秘かな愉しみ」でイカリングをワシワシいただきました。

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