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「あ」と「お」

先日このコラムを読んでハッとしました。

そういえばキーボードを使うようになって、手書きの手紙もめったに書かなくなったけど、失ったものも多いような気がするのです。
図書館に新刊で来ていたので借りました。

映画もあるようですが、旦那が鶴瓶で奥さん役が原田知世?原作だと同い年なのでちょっと違うな~。

原作を読んでいくと、そうして主人公の保氏が字を学ぶ機会を失ったのかということと、字を読めない、書けない人は少数者であってもいるということ。そしてその出来ないことにより社会より疎外され、また自身も孤独感、劣等感を持ち続けるということに深く考えさせられました。
後半は夜間中学校で字を学ぶ(字以外も)という話が多く出てきますが、その学校に行くのは老若男女、日本が出身地でない人、それぞれが励まし合い「あいうえお」から学ぶ姿が書かれており、間違いなく今でも保氏のような人が確実に存在しているということでした。

保はが字が書けないから選挙に行っても白票を投じるしかなかったというエピソード、運転免許も調理師免許もそのことで、大変苦労をした話。私は当たり前のように字が読めて書けますが、そういえばと思い出したのは、随分前ドイツに行った時、ミュンヘンの空港から市内に行く電車に乗ろうと、ホームに行きました。駅には切符売り場はなく、ホームで買うような状況でしたが、ホームの切符販売機に行くと表示がドイツ語のみで、全く分かりませんでした。呆然としていると親切な方が「どこ行くの?(英語)」で聞いてくれてホッとしたことを思い出します。
この本のなかでも夜間中学校の同級生が「初めて駅の新田辺っていう字が読めた」と喜ぶ姿が書かれていましたが、もしかしたらドイツ語で呆然としていた私、不安感がこみあげてきていたあの気持ちを毎日生活しておられたのだろうと思います。
これからJRなんかは切符でなくQR切符に全面的に切り替えるのだそうです。

メンテナンス目的とありますが、いずれは100%スイカのように券を廃止していくのだと思います。それは券売機で字が読めなくて不自由する人の解消手段にもなるなのだろうと思いますが、一方で字が読めない人の存在を隠してしますものでもあると思います。

さてこの「35年目のラブレター」の中に保氏が夜間学校に通うようになり、「あいうえお」から習う場面が出ています。主人公は四苦八苦。そこを無断引用

「『こうやったら書けるでしょう。さあ、自分で書いてください』今度は自分で書いてみた。形は悪いが、何となく「あ」に見えないこともない。自分で書いた最初の文字が電灯に照らされ、浮かび上がってくるように思えた。先生が言った。
『書けたやないですか。ちゃんと読めます』
ぼくは何度も何度も「あ」を書いたあと、「い」「う」と続ける。「え」「お」は少し難しかった。「お」は「あ」に似ているため、頭が混乱してきた。
一文字、一文字覚えていると、周りからも鉛筆を走らせる音が聞こえる。前年度から学んでいる生徒はひらがな、カタカナをマスターして漢字に移っている。教室のあちこちで小さな声が上がる。
『あかん。この字、また忘れたわ』
『この間は覚えてたのに、きょうはまた書けへん。うちの頭、どうなってんのかな』」

うちの孫も3歳で、親が字を覚えさせている様子で、話を聞くとやっぱり「あ」と「お」に苦戦しているようです。


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