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煌々たる月、その月になびき伏す草

私は音楽も好き。もう60過ぎなので、思い起こせば長いこと聞いているもんだ。もともと洋楽好きだったのも幸いだ。中高の頃はロック、高校から大学でソウル、大学以降はジャズが中心だが、30過ぎてからはブルースが好きになった。さらにボサノバがワールドミュージックの目を開いてくれたし、娘がチェロを弾くようになってからはクラシックも聴くようになった。
結局良い音楽は命が長いことがわかり、消耗品的な音楽の寿命は短く、改めて聞く気にはならないことも長年の経験で知った。
私は音楽のジャンルは不要、あるとすれがホンモノと消耗品があるだけと思っているのだけどね。中でもJ-popとK-popは消耗品だと感じているが、これ書くと非難されそうだな。
その中で私にとっては高校時代からのアイドルのバンドの一つは「The Allman Brother's Band」であります。一番はやっぱりフィルモアだが、今はその流れの「テデスキ・トラックス・バンド」が好きだ。彼らの今年のアルバムがまた凄そうなのだ。

これによると6月から8月まで順番に4枚出るとのこと。説明を見ると「ペルシャの詩人ニザーミー・ガンジャヴィによる12世紀の詩『ライラとマジュヌーン』からインスパイアされたと」ある。また、よく読むとこの「ライラ」はクラプトンの「レイラ」に繋がるのだな。昨年テデスキ・トラックス・バンドは「Layla Revisited (Live at LOCKN')」を出したがこれはデレク・アンド・ドミノスの「いとしのレイラ」全曲再現ライヴ盤だった。

その辺りから今回の構想になったのかもしれないが、では原作の「ライラとマジュヌーン」を読まねばということで、図書館で借りました。

解説に訳者の岡田先生による「あらすじ」があるので、それを無断引用しよう(実際には読まないとわからないよ)

「アラブの茫漠たる砂漠に、富裕なアーミル族の首長の息子として生を享けたカイスは、天性感傷の心も深く、詩才にも恵まれていた。やがてこの少年カイスは、美少女ライラに恋をするが、その恋があまりにも一途で懸命であり、世俗の目には狂気の沙汰とも映ったので、ライラの両親や親族の阻む所となり、カイスは『マジュヌーン』の異名で呼ばれ砂漠を放浪する。ライラは…」というもの。マジュヌーンというのはアラビア語で「狂気」の意だ。

テデスキ・トラックスの今回の最初に出る1枚目「I Am The Moon」は二人が恋に燃える時期の話じゃないだろうか。こういう箇所がある「ライラは煌々たる月、その月になびき伏す草のごときマジュヌーン」とある。燃え上がる恋とはこういうことなんだな~(忘れちゃったけど…)。

英語でルナティック(Lunatic)は狂気のことでもある。ルナティク(英)=マジュヌーン(アラビア語)ということだ。英語の方は「月が人を狂わせる」というところから来たと聞くが、まさに月の姫ライラがカイスの心を狂わせたのだが、あまりに膨れ上がった巨大な思いそのものを、自分の心が受け止められず狂わせたのか。

本を読むのも、このアルバムが聞けるのも、これからまことに楽しみだ。

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