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愛する同胞が過去幾千年の間に残しつたへた、文芸を書残すこと

結果的には過ごしやすかった週末だったけど、雨とか猛暑は避けたいので丁度借りていた図書館の本をしっかりと読んだ。その中の「ピリカ チカッポ(美しい鳥) 知里幸恵と『アイヌ神謡集』」(石村博子)は大変良かった。
4月にNHKのBSで見た「バラカンが見たアイヌ新世代」がとても印象的で、そこにもこの「知里幸恵」さんは紹介されていたので、図書館でタイトルを見たときにすぐに予約したのです。前半が知里氏とその周囲の人々の話、後半が知里氏の紹介したアイヌ神謡の「詩」の解説という形になっていてとても読みやすい。この本で知ったのはアイヌのユーカラと言われる歌には二種類あり、この本にある「神謡」は主人公が神で、神が話す謡、もう一つは英雄叙事詩で主人公は人間。わかりやすいイメージとしては「神謡」は能だね。死んだあるいは姿の見えないものが能の演者となり、謡と舞でその意思を伝える。一方英雄叙事詩は広島でおなじみの「神楽」じゃないかな。もちろん英雄が能にも出るし、神が神楽にも出る演目があるから、それぞれ重なるのだけどね。でも、アイヌもヤマトもこういうものを残し伝えるというのは共通していると思うのだ。
本はこちらです。

もちろん早逝した知里氏が世に送り出した「アイヌ神謡集」もあわせて読まねばよくわからないのだが、幸いこの作品は「青空文庫」で読むことができる。

もちろん伝承された「詩」そのものがすぐれていると思うが、口伝で伝えられたその詩を、我々がわかりやすく受け止めやすいように日本語の口語訳にしたところ、そしてアイヌ語の「音」をきちんと表記してあるところが偉大な所である。これは青空文庫を読まれるとわかるだろう。今日のタイトルはこれも「青空文庫」で読むことのできる知里氏の最後の手紙の一部です。
当時滅びつつあったアイヌ語、それ以上に口伝で伝える後継が居なくなっていた状態で、知里氏がいたというのは誠に得難い事だったと思う。書き言葉が無かったアイヌ語をこのような形で残したことは、古代エジプト語のヒエログリフとと民衆文字、そしてギリシア文字の3種類のが記された「ロゼッタストーン」にも匹敵する。

言葉は文化であり、社会であり、人々だと思う。丁度並列で読んでいたのが「言葉が違えば、世界も違って見えるわけ」(ガイ・ドイッチャー)だったが、冒頭に例としてホメロスの死には「青」という言葉がないということを上げられている。海の色、空の色が「青」と連想できる言葉で表記されていないというのだ。だからと言って古代ギリシア人が色弱だったということではないが、「青」という言葉を使う意味がなかったので言葉として生まれなかった、というような説明がある。ある国の言葉には定義されている言葉が違う国の言葉には定義されていないということは当然あるし、色で言えばよく言われるように日本の色の定義は猛烈に多い。

しかし、その時代もこれらの色が全ての人に理解され、使われていたというわけではないし、今となってはクレヨンの24色でも多いという人もいるかもしれない。ただ、例えば色でもこのURLの「藍鼠」をクリックすると
「藍色がかった鼠色、むしろ灰色味の青色に用いられることが多いようです。藍味鼠とか藍生(あいおい)鼠や相生鼠とかもいったようです。藍生とは縁起を担いで相生に掛けた言葉です。相生は一つの根から二つの幹が出ることをいい、夫婦ともに長生きをする相老にも通じるめでたい言葉であり、藍生にも掛けた。」とある。その意味全体が色を示すだけでなく、この言葉の意味なのだな。
だから知里氏の詩は「字」だけでなく、その言葉の背景を含めたすべてを日本口語訳にしたと言えるだろう。本当に偉大な業績だと思う。

今更ながらアイヌに対する迫害は日本人全てが負うべき、またこれからもその「負債」を返し続ける義務があると思う。再放送、あるいは配信があればこの番組はとても分かりやすいので、是非ご覧になると良い。

そういえばアイヌ差別でもう40年以上前のことを思い出した。以前勤めていた会社の先輩が、当時付き合っていた女性と結婚する話になった時だ。先輩は大学は関大で、育ちも大坂なのだが、ご両親の出身が北海道だった。彼女の方は関東の出身で、彼女の御両親が彼にアイヌが入っていないか調べたのだな。それを聞いて、ものすごく揉めたということがあった。人を差別する人は、自分との違いがある人を意味もなく差別する人だと思う。「人との違い」ってあるに決まっていると思うし、その違いをネガティブなものとして見ても何も生まれない。バラカン氏の番組の最後にこのような言葉が紹介されている「Kanto or wa yaku sak no a=ranke p sinep ka isam(天から役割なしに降ろされたものは ひとつもない)」
いずれその時がくれば、自らの役割が見えてくる。その時それをしっかりつかみ、使命を果たすことは、どんな言葉を使っている人であっても共通する大事なことなのだと思う。

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