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アゴラ

そうかもしれないな、と思ったのは昨年末に見た(実際は本放送でも見た)川崎のどろんこパークがあったからです。

「希望の歴史」(ルトガー・ブレグマン)の下巻にようやくたどり着いています。

その中の第14章「ホモ・ルーデンス」の中「ルールや安全規則のない公園」「クラス分け、教室、宿題、成績のない学校」の項がまさにこの「どろんこパーク」だったからです。そこにはこうも書かれています「もし、学校に1000人の子どもがいれば、100通りの学習方法がある」。
「どろんこパーク」の番組では、もちろん泥だらけで遊ぶ姿に目を惹かれましたが、ここでは学校にあまり行きたくない子どものフリースクールの役割もあるようで、屋内のその部屋の映像もあり、もう乱雑な上に、そう「混沌」と言ってもいいような雰囲気がありました。希望の歴史で紹介されている「アゴラ」という学校はまさにこれで

「学校の敷地に入って、まず頭に浮かぶのは、廃品の遊び場のことだ。目の前にあるのは、黒板に向かって整然と並ぶ椅子ではなく、急ごしらえの机、水槽、ツタンカーメンの棺のレプリカ、ギリシア風の円柱、二段ベッド、中国の竜、スカイブルーの69年型キャデラックの前半分と言った、色とりどりのカオスだった。」

とあり、番組に完全に重なりました。
「アゴラ」は子どもたちが自律的で、想像力に富み、積極的な市民になることを願って、それが実現できる学校環境にしているのですね。

よく社会や企業は就職する学生に求めることとして「自律ある」「想像力ある」「積極的な」と言いますが、今の学校は「全ての活動が共同で行われ、全員が同じタスクに取り組む」「学校、教師が決めた明確で形式ばったルールを守らせる」「活動のスケジュールは1時間が毎に厳格に決めらている」でしょう。私もそういう学校生活でしたし、子どもたちも同様でした。
つまり私は自分の子どもでさえ「自律ある」「想像力ある」「積極的な」と言って、その真反対の環境(学校)に小学校から高校まで12年行かせたため、大学に入っても社会に出ても、「自律ある」「想像力ある」「積極的な」ことをするのに躊躇するようにしてしまったのではないかと感じることがあります。とはいえ、結構勝手気ままにやっているのを見ると、自分がそうだったからな、背中をみてたんだなとほっとするところもあります。

この藤原氏は、親の転勤で新潟から奈良に転校することができたようですが、そんな幸運は誰にも恵まれるわけではないでしょう。身近に「カオス」な場があればよっぽど生きやすいのではないでしょうか。全国どこにでもこのような「カオス」があり、「今日はちょっと行きたくない」というときは、「じゃあ気が向いたらカオスに行ってみたら」と言えるような場。そこはきちんと整理整頓され、カリキュラムがビシッと決まっているような学校の対極にあるところ。好きな時に好きなことをする、いやならプイッと出てもいい所。
でも「アゴラ」にあるような三つのルールがあるところ。その三つとは
1 毎日、学校に行く
2 毎日、1時間、静かな時間を過ごす
3 週に一度、コーチと面談する

言い方を変えれば

1 毎日、学校でもフリースクールでも行ける所に行く
で、2と3は決して難しくない、いやまてよ会社もそうかもしれない。

本当に「自律」「想像力」「積極的」を社員に求めるなら、

1 毎日、会社に行く
2 毎日、1時間、勤務時間内に静かな時間を持つ
3 週に一度、コーチ役のマネージャー(直接上司ではない)と面談する

この項にはこうも書かれています。

「問うべきは、子どもは自由をうまく扱うことができるか、ではない。
わたしたちは子どもに自由を与える勇気を持っているか、である」

自由から「自律」「想像力」「積極的」が生まれるとするなら、勇気さえあればそれほど難しいことではないんだね。発想を切り替えねばなりません。

「アゴラ」とは古代ギリシアのポリスで公共の場、集会の場のこと。自由な議論や交流ができる緩やかな空間を目指して名付けられたのかなと思います。

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