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その世

先週ラジオの「高橋源一郎の飛ぶ教室」は谷川俊太郎氏のスペシャル。前後半に分かれ、後半はブレイディみかこさんとの三人での対話。

その中で谷川氏とブレイディ氏が往復書簡での本の話になりました。

まだ発売前なのでラジオの話でしか聞いていませんが、面白そうです。その中でタイトルの「その世とこの世」の意味の話があり、間違って聞いているのかもしれませんが。普通は「あの世とこの世」で死後のあちら側が「あの世」、現世のここが「この世」という解釈で良いのでしょうが、その間の「あわい」のことを「その世」と呼んでいたようです。

実は先日も書きましたが、女房の従兄で余命宣告を受け、半月前から自宅で緩和ケアを受けている親戚がいました。その彼が先週末に逝きました。お通夜、葬儀さらに火葬場までお供しましたが、彼は「その世」にいるように思います。
これはあくまで私の感覚ですが、人間は肉体の死、脳の死そして魂の死と3つあると思っています。肉体と脳は物理的な機能でもありますから、停まれば、またエネルギーが停止したら終わりです。復活などしません。
しかし魂は肉体が生きている時は、その人の中にあり、肉体が死んだらそれまでついていたその人の身体から離れていくと思っています。
葬儀等は、中空に漂う魂と肉体とを繋ぐ絆を話すセレモニーだと思っています。「ああ、自分はもう死んでるようだ」と魂が自覚し、肉体から切り離れて谷川氏らの言う「あの世でもなくこの世でもない、あわい=その世」に四十九日漂い、その間に残った遺族の来し方、少しずつ哀しみが言える姿を見て、ボチボチ大丈夫だなと、自分も踏ん切りがついて浄土や天国に行くのだと思っているのです。

「あの世」と「この世」は全く違う世界なので、「あの世」から「この世」に戻ってくることなどなく、「あの世」から来れるのは「その世」のゾーンまで。「この世」にいる私たちが亡くなった人の魂の存在を感じるのは「その世」にいる時だけだと思います。
「その世」は亡くなった後に一時いる場所ということだけではなく、そういう風に時々魂が「あの世」からやってくる場所。そんな気がします。「その世」にいると遺族や「この世」にいる人が何かのきっかけで故人の存在を感じるのだと思います。夢の中に出てくるなんて言うのは「その世」に来ているからだと思いますし、いわゆる「虫の知らせ」なんていうのもまだなくなってはいないけれど「その世」にボチボチ行く人からの連絡ではないでしょうか。
先日その従兄が穏やかに苦しむことなく旅立てるように、赤間神宮に祈願に行きましたが、あそこはまさに安徳天皇の亡くなった壇ノ浦であり、安徳天皇陵のある場所ですから「あの世」と「この世」のあわい「その世」の入り口のある所なので、誘われるように行ったのではないかと思います。

恐らくパワースポットと言われる場所はその「その世」が「この世」に一部あらわれている場所なのではないでしょうか。
49日が過ぎたらお礼に赤間神宮に行き、従兄と話したいと思います。

もちろん「その世とこの世」は読んでませんし、中身はわからないので、是非手に取って「その世」の意味を探りたいと思います。

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