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Who can take tomorrow, Dip it in a dream, Separate the sorrow

ホリー・ジャクソン氏のピップ三部作をようやく読み終わりましたが、なかなかのもの。それぞれ趣が違いますが、三作目の「卒業生には向かない真実」には驚きました。ネタバレすると面白くよめないので、書きませんがこういう雰囲気どこかで感じたことがあるなと、思い浮かんだのが「わたしを離さないで」(カズオ・イシグロ)でした。あれは少年少女が不可思議な施設で生活をしているのが前半です。読み進むにつれてその違和感がどういうに意味を持っているのかが分かるようになり、意味がハッキリと明示されゾッとした段階で後半に入る。後半は主人公たちが違う視点で過ごす生活を書かれています。言ってみれば1作で前後半違う感情移入が出来るというものだったと思います。それにこの第三作は似ている。この文庫本は700頁近くありますが、第一部が370頁、第二部が295頁くらいあり、それぞれ独立させても良いくらいのボリュームで読み応え十分でした。

読み終わった時がちょうど京アニ事件の裁判の判決が出た日でした。

裁判員たちが必死で考えて出した結果なので、門外漢である私が口をはさむ余地はありませんが、それでも疑問は残ります。死刑になったら青葉被告の行動、思考がわからないということになります。犯行を実行したことはわかりますし、精神鑑定の結果もわかりますが、それでもなぜ被害者妄想が飛躍して犯行にまで行きついたのかはわかりません。

私は法による処罰は3つ+1つ視点があると思います。
1つ目は被告の反省を促すもの。
2つ目は被告の社会復帰を促すもの。ここまでは被告に対するものですが、
3つ目は被害者及び関係者の心情に沿うもの。
さらにもう1つは被告や被害者に対するものではなく、司法や社会に対して「同様の犯罪が起きないための教訓、学びの材料にする」というもの。

今回の死刑判決は1はあっても、2は死刑なので社会復帰はない。3は極刑ということで、被告に対して命以上のものは取り上げることができないですから、裁判として出す判決は限界で、後は被害者や関係者が何とか納得するしかないというものだと思います。
しかし4について何が教訓として残るでしょうか。

オウム事件の麻原についても精神鑑定で十分罪は問えるとして死刑の執行がなされましたが、あれも麻原の論理の飛躍は全く分からないまま今に至っているのは、1~3は出来たが4を置き去りにしての死刑執行だったからだと思っています。なお当時死刑をGOした法務大臣は上川陽子氏(現外務大臣)。
今は日進月歩で脳の新たなアプローチや薬品が出ています。仮に麻原に対してそういう治療が出来れば、今後の教訓としてどうしてそういう思考になったのかを調べて社会で共有することができるようになっていたかもしれません。

実はピップ三部作では著者があとがきで

「実際の犯罪に強い影響を受けたシリーズを書きおえて、私たちを失望させる刑事司法制度やその周辺の実態についてひと言も述べず終わらせるのは、わたしとしてはどこか不自然に思える。この国でのレイプや性的暴行の統計、および通報件数や有罪判決のきわめて低い率を目の当たりにすると、どうしようもない絶望感にさいなまされる。なにかが間違っている。」

とあるように、ピップは探偵であり被害者であり加害者という視点を持つ三部作完結編でした。でもこれも実は1から3までに過ぎず実は4が抜けている視点に思えます。もちろん犯罪ミステリーですから4は必要はないのですが、社会には絶対必要です。今わからないなら、時間をかけてでもわかるまで待つということが、教訓として何かがわかるということに繋がるのではないかと期待をしています。


さて重たい話だけで終わるのはちょっと…。巻末の訳者あとがきに、ピップの舞台について書かれています。そこを引用します。

「もうひとつ特徴的なのは、舞台となっているリトル・キルトンは架空の町ながら、ロンドンの北西部、バッキンガムシャー州に実在するグレート・ミセンデンの町をモデルにしているということだ。たしかに『自由研究には向かない殺人』に載っている地図と、グーグルマップで表示した「グレート・ミセンデン」を比べると、町を走る道路の形が重なる。なにを隠そう作者ホリー・ジャクソンは一時期そこに住んでいたのである。
ちなみにグレート・ミセンデンは、かの作家ロアルド・ダールが1990年に亡くなるまで36年間暮らした町で、あたりの様子はダール作品にも多く描かれており、いまでは町にロアルド・ダール・ミュージアム・アンド・ストーリー・センターが建っている。この地域には、何人かの作家や芸能人のほか、金融や産業界の重役らが住居を構えているようだ。19世紀末にメトロポリタン鉄道が開通したことからロンドンへの交通の便がよくなり、高級住宅地を含む、郊外のベッドタウンとなったのだ。」

へー、でした。

そしてロアルド・ダール・ミュージアム・アンド・ストーリー・センター

私はダールが好きで、最初はハヤカワ文庫の「あなたに似た人」から入りましたが、その後子どもが生まれてからは評論社のダールのシリーズを買って、よく読んでやりました。

もちろんチョコレート工場も読みましたし、映画も見ましたが、チャーリーとチョコレート工場はジョニー・デップのものより、ジーン・ワイルダーの「夢のチョコレート工場」の方が好きです。挿入歌の「キャンディ・マン」はサミー・デイヴィスJr.の「陽気なキャンディ・マン」が楽しいです。映画公開の翌年、1972年に全米ナンバーワンの大ヒットになったのは子どもの頃「夢の」の小説を見た人が大人になって「あっ、この歌!」と思ったから、子どもの頃のあの甘い香りを思い出して幸せな感覚を取り戻そうとしたからではないでしょうか。


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