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信じた道をいく

広島はGWになるとフラワーフェスティバルがあります。

先日の出張でもう一つ読んだのがこちら

たまたま図書館の順番が回って来たのですが、前作に続き堂々たる「成瀬あかり」であります。
彼女自身でなく、彼女の周囲の人が「成瀬あかり」に振り回されることで、彼女の生き方(まさにタイトルの「信じた道をいく」)にシンパシーを持ち、自身の生き方が影響されていく、という話なので、甚だ読後感はよく、本屋大賞なるほどね、という言ってみれば現代の山本周五郎感があります。

今作は5つの短編によるものですが、なかなか考えさせること多し。
まず最初の作品で成瀬あかり氏が小学生から「将来何になりたいか」と聞かれて
「先のことはわからないからなんとも言えないが…。何になるかより、何をやるかの方が大事だと思っている」
と「あかり節」で答えるが、これねえなかなか言えないよ。私はこの作品であかりの周囲の人が影響されるのはここにあると思います。あかりを自分の眼鏡で「こんな人かな」と考えるのではなく、あるがままのあかりを受け止めろ、眼鏡を捨てて世界を、自分を見ろ、それがテーマ。
だけど「何をやる」というのは「何のためにやる」という本質があってこそ出来る。つまり真の目的、本質を失っていないか、流されてはいないかが問われていることになる。

私はかつてフラワーフェスティバル(FF)の実施団体に関わっていたことがありますが、そこで違和感があったのはFFの意義、真の目的が「金」以外にないことを感じたこと。あくまで賑わい、動員が成果のスケール。確かに賑わいは大事ですがそれも意義達成あってこそ。FFのサイトを見ると

目的なんかどこにも書かれていません。当初から

1 広島を花と緑と音楽のあふれる都市にしよう
2 平和に生きることのすばらしさと尊さを参加者みんなで分かち合おう
3 広島から世界へ、豊かな生活文化と、温かい人間関係の交流を呼びかけよう

という3つの漠然たるテーマはあったはずか、いつの間にかそのスケールは経済効果に収斂されたようです。

そうそう、この本にはもう一つ。表紙にあるようにあかりが「びわ湖大津観光大使」になる話があります。その中で新聞記者から
「成瀬さんはどうして観光大使に応募されたんですか?」
という質問にさすがのあかり節で
「わたし以上の適任者はいないと思ったからだ」
さらに
「わたしはびわ湖大津を世界に発信していくつもりだ。中学生の頃から幼なじみとゼゼカラというコンビを組んでときめき地区の発展に努めてきた。その活動範囲を大津市全域に広げるのが一年間の目標だ」

さすがであります。観光大使は手段で目的、本質ではないのです。
さてFFにはフラワークイーン(旧ミスフラワー)という方がおります。今年はこの方々

まあ真ん中の方以外、インタビューを読むとクイーンになるのが目的のようですな。
私は25年くらい昔、ミスフラワーの二次審査員を務めたことがあります。一次審査は書類選考ですが、事務局の新聞社はここで選別すると営業に影響するので、不備がなければそのまま二次審査に参加させるので、二次審査は100名以上から5人を選ぶという大変な作業でした。
もちろん自己PRとかもして貰いますが、同じような話を聞いていると、ミスになるのが目的、ゴールという人、あかりタイプはほとんどいませんでした。中には「私はとにかくミスになりたい(別にフラワーでなくてもいいのよ)」と豪語する人もいて、開いた口が閉まりませんでした。当然彼女は選外でしたが翌年他のミスに選ばれご同慶の至りです。
ただ考えるに、FF自体が本質的な意義を見失っている表れかもしれませんね。

FFにも成瀬あかりさん、登場して欲しいものだ。

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