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海の日の前日は再び海の上

無事に三津浜の日の出で「三津浜焼」をゲットして、4時前に松山観光港に到着。港のロビーで30分ほど休憩して、フェリーが出たのは4時50分。行きのフェリーとは若干落ちるが、それでも快適な船室。さすがに帰りの船上で食べようと思った「三津浜焼」も、胃袋が要求しないので、帰りは寝不足の補充と買った本の読書に致しました。前回書いたように帰りの船では「二度といけない広島のあの店で」でした。

「二度といけない」というのはもうその店が無くなっている場合もあるし、自分の思い出を大事にしたい、もし行って美しい記憶が台無しになってしまうのは嫌、という意味で足を向けない場合もある。その物語(ノンフィクション)が、行った時のきらめくような思い出と共に書かれている。いいじゃないか。
で、フェリーの船上で、自分の「二度といけない広島のあの店で」はどこだろう、と考えたのだ。あそこかな、いやあっちか、あの時は…と考えていて思い出したのは、もうここしかなかったな、というお店です。

サラリーマンには誰しも「ハレの日」があると思う。営業なら注文が取れた時、仕事が上手く行った時、お客様に喜んでもらった時、大なり小なり誰もが経験する。そんなハレの日には美味しい昼飯が一番ピッタリくる。大きなハレは夜の飯かもしれないが、小さなハレは昼飯だ。

私が大学を出て初めて勤めた会社で、ある時ちょっとした商談があり、私は先輩についていき手伝ったのだが、それがとても上手く行った。お客様は大手の製菓会社さんで、田町にあった。
先輩はとても喜んで、昼飯をおごってやると言って連れて行ってくれたのが、駅の脇にある路地。その中にカウンター席だけの鰻屋、鰻丼だけの店があった。そこに先輩と並んで座ると、頼むことなく鰻丼が出た。本当に美味しかったのだ。その時からハレの日はこういうことが大事だと勝手に思った。
広島に戻り、同じようなハレの日があった。自分のハレもあれば、社員のハレもある。その時に行っていたのが、会社の近く歩いて五分くらいの小網町にあった「むさしや」という鰻屋さん。
木造の潰れかけのような店構えだが、ここが私のハレの日の店。そして「二度といけない店」なのだ。そうこの店は年輩のご夫婦がやっていたが、閉店されたのだ。
この店の鰻のタレはとても美味しかったが、この場所は夢千代日記で夢千代が被爆した花街に近い場所。もちろんこの「むさしや」も被爆し、恐らくあのボロボロの建物は戦後からのものだったろう。そのタレは戦時中甕ごと土の中に埋めており、戦後掘り出して使い足しながら味を守っているということだった。今はそのタレは廃業後「さかい」さんという料理屋さんが続けていて、私も土用になると「さかい」の鰻を頂くことがある。でも味はあの味なんだが、あの店じゃないんだよね。

そんな小さなハレを喜ぶことがどれだけあるのだろうか?いつの間にか小さなハレがくすんでしまったような気がする。
そんなことを考えているうちに音戸の瀬戸も過ぎ、広島港に7時半に到着しました。一泊二日の急ぎ登山だったが、ご来光、拝礼、書店、グルメと本当に充実した二日間。腰の具合も大丈夫だったが、心配なのは両足の筋肉痛です。

後日談ですが、「二度と行けない」の中に、フジグラン高陽にあるグリーンオアシスさんのハンバーグスパゲッティがあった。女房の叔父さんの四十九日が近くであり、送り迎えの待ち時間に行ってみた。

グリーンオアシスありました。でハンバーグスパゲッティもあったので頼んでみました。エッセイには鉄板で出されたとありましたが、時の流れがお皿で提供。


スパゲッティも熱くて美味しく食べ始めたが、やはり段々熱いか温かいに….鉄板だと最後まで熱く食べれるのだろう。段々冷めて行くのと過去の記憶が薄くなるのが、なんとなく同調して、私の「二度と」じゃないのだが、作者が来たら悲しいだろう、「二度と」行くべきじゃないなと思った次第です。
ただトマトソースを服に散らすことなく、美味しく完食しました\(//∇//)\

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