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都会の生活

添田知道氏のことは全く知らなかったのでググると「添田唖蝉坊」氏の息子さんなのですね。添田唖蝉坊の名前は色々見かけたことがありますが、青空文庫にも

その添田知道氏のことを知ったのは「つげ義春が語る○旅と隠遁」でした。

その箇所を引用します。

つげ 阿蘇もねマンガの腹案があったから行ったけど、そういう目的がなかったら行かないね。
ウーン、ずーっとあとになって、旅行の気持として自分に合っているなと思ったのは添田知道の『利根川随歩』を読んだときですね。こういう旅行の仕方は自分には向いているな、と思えたのね。
利根川を川づたいに土手を散歩して水源までたどるという内容ですけど、途中で近くの村をちょっとのぞいてみるとかね。添田知道は、何日もかけて歩いていくわけではなくて、休日になると東京から出かけていって、先週はここまで、じゃあ今週はここからという具合に、少しずつ区切って歩いてくんですよね。その旅の気分というのは、付近に名所なんてものはないわけだから、ただブラブラ歩いているだけなんだね。途中でおいしいものでもあれば寄って食べてみるとか、それがおもしろくてね。

ー 柳田國男みたいに民俗学的に何かを記録して、考察を加えていくというのはないんですか。

つげ ないですね。だからあの本はすぐれているんですよね。きっと添田という人は、江戸時代の『利根川図志』の影響を受けているんでしょうね。『利根川図志』はいろいろ民俗学的な記録をしているんだけれども『利根川随歩』はそれは何もしないのね。うなぎのてんぷらがあると聞いて、それは珍しいからと食べに行ったら、そこの女中さんがすごく田舎っぽくてよかったとか。
後関のところから枝道に入って、湯宿へ行ったり、湯宿で土地の人からもっと山の方にゆびら温泉というのがあるから行ってみな、といわれて行くのね。要するに気ままな旅なんだね。だから学術的要素はおよそないわけだけどね。その本は昭和十五、六年に発行されたんだけれども当時はすごい評判になったみたいですね。

この添田知道氏の紀行は私の波長に合うので読んでみたいとググったら、随分前の本で、古本屋さんにもないようです。
で国立国会図書館で検索したらありました。

なるほど文中には昭和15・16年とありますが、1974年に再版されているので丁度つげ氏が対談したのが1985年だから、再版が手に入りやすかったのかもしれません。
どうしようかな、複写申し込もうかな、361頁もあるのか…@25円だから10,000円近いので、やっぱり古本屋を探るしかないか。今日、女房な友だちがお手伝いしている廿日市の古本屋さんに行くので、相談してみます。

又つげさんの本にあったこんなところも面白い

マキ 70年すぎて全共闘とかの若い人たちが都会を捨てて沖縄とか北海道とか、山奥へとかに入っていったけどどうなったのかしらね。

ー  北海道にわたって酪農で成功してる人もいるんじゃないですかね。

つげ 成功するというのは問題だね(笑)。都会の生活は嘘で生きているという気がするね。価値のひとつもないところで生きているというのは、嘘で固まっていることだものね。生命体としての人間にとっては山の生活が一番ふさわしいんじゃないか、と思うね。

これも1985年のつげ義春が対談した時の言葉です。太字の所は私がしましたが、もう40年前になりますが、凄いこと言うな~。

都会と言えば私の好きな大貫妙子氏の「都会」の歌詞はこの「嘘」を的確に表現していると思います。1977年のアルバムなので、大貫・つげ両氏が表現するこの頃の都会はこうだったんでしょうね。


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