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いなか神主から学ぶべき

タイトルの本「いなか神主奮戦記―「むら」と「祭り」のフォークロア」(神崎宣武)は本当に勉強になりました。

知らなかったこと、うろ覚えだったことが随分と整理できました。それぞれ実際に行われているエピソードに沿って紹介されているので、とても読みやすいし、理解しやすいです。特に印象的だったところを順不同で抜き書きします。

① 先ずは地域の神様について、そこには四層の構造(氏神・産土神・株神・家神)があるとのこと。

「氏神=村落ごとに祀られる「むらの鎮守様」
荒神(産土神)=小集落ごとに祀られる
株神=同姓の家系で祀られる
宅神=家ごとに祀られる神さま」

で、家、家系、地域がそれぞれ守られているという形ですね。私は両親が静岡から来たので、広島には荒神~宅神はおりません。氏神様だけだったのだな。

② 神棚の拵えものについて

とくに家でお祀りする時はイラストのように物凄いお供えや供え物があるようです。和紙で作られる依代にも、神籬(ひもろぎ)、神札(おふだ)、御幣の区分があり、またそれぞれ神さまごとにあります。他に
「諸神幣(しょじんぺい)神殿に勧請する六十余州の神々のしるし、で四面の鴨居縁にたてる)
白蓋(びゃっかい)神殿の天空に吊って、神々の降臨を表すもので、仏教の天蓋に相当する
千道(ちみち)白蓋からの諸神が幣に伝わり降りるのを表すもの」

ということ。これを神主(神崎さん)が一つ一つ作られるようで、まあ大変です。そんなに大変なことをする理由は

「これら何種類もの依代を神床にまとめておくのは、飾りつけではなく、便宜的なもの。もし広い神聖な空間があれば、これらを順番に並べて段階的に区切って祭典を行っていけば、ひとつひとつの依代の役目がわかる。
例えばこれから勧請幣をもって荒神社に行き、それに荒神の御魂を移して家の神床に導いてくる。それもすぐには神床に案内せず、まず門先のオハケ(上部に笹を残した竹、御幣がとりつけてある)に休んでもらい、そこでご機嫌を伺う。よろしいようなら、神棚の神籬に移って鎮まってもらうことになる。
そこで当番祭が行われ、神饌を供え、神事を執行し、馳走を神人が共食する。その後神殿移り。当番家の神床の祭具や神饌がすべて神殿に移されるが、荒神の御魂は一時また御幣に乗り移ってもらう。そして神殿の神棚で再び神籬に鎮座ましますことになる。
神殿での神事の初めは、動座(降神行事)。神主の祝詞・呪文と太鼓で、日本各地に坐します諸神たちが白蓋から千道、御幣へと降臨する。そうして主賓、来賓の神々が一堂に会したところで、それを祝って神楽が演じられる。
つまり、荒神を始め諸神たちが、このむらに天降り里人を愛でて巡るようすが、何種類もの依代を伝わり移ることで示されている。その場合、真っ白な紙がガサガサと揺れたり、幟や笹がパタパタ、ザワザワと動くと、それなりに効果的で、その背景が暗ければ、なおさらそうであるはず。そこには歴史を重ねての日本人の神観念のある種の演出が見られよう。」

う~ん、凄い。

③ 祭祀について

「神主の祭祀技術ほど不統一なものはない。もちろん神社本庁が所管するところの統一祭祀というものがあり、それが全国の神社の祭典に通用することにはなっている。明治以降、それで年々画一化が進められてきたことも事実ではあるが、しかし地方ごとにそれぞれ独自の方法を持ち今日に至っているところもある。特に本祭典では祝詞奏上とか玉串奉奠とか一律の祭式法が広まってはいるが、宵宮や小祭りでは土着の旧法(加持祈祷など)が根強く継承されていることがある」

なるほど、どこもかしこも同じやり方してるわけではないという表れが祭祀でもあるんですね。天照大神がいて株神や宅神がいるわけではなく、株神や宅神がいるから天照大神もいるということが正しいのでしょう。国があって国民があるのではなく、民があってその集合体として国があるということと同じでしょう。

➃ 祭りは宗教行事か

「むらの祭りは宗教行事ではない、というのは人心をひとつ目的のために結束して、むらやいえを維持せんとする仕掛けに他ならない。その象徴に、超人的な神々が存在するのは、それがもっともおさまりがよく継続性があるからで、人間だけで組織する昨今の会議やイベントと違うところ。
したがって、個人主義が表出し、集団社会に支えられずとも家系が個人的に維持できるという考えが強くなったところでは、祭りは存在価値を失い衰退することになる。もとより宗教的な戒律や義務がないのだからそれはそれでいたしかたないこと。」

祭りはコミュニティが基本なので地域独特なものばかりなのは当たり前。

⑤ 神と仏の共存=祖霊信仰

「神道でも仏教でもそのときどきに崇める神仏はさまざまであるが、常に合わせて祖霊を遇することは共通しているのである。端的に言うと、一神教でなく多神教なのであり、その中心に祖霊がある。そこに代々が定住するから、折々にさまざまな神もすだくことになる。
盆にしろ正月にしろ祭りとは、祖霊と現世人が交流する場でもあり、墓地も血縁者が共有するイエ(家)なので、先祖供養、墓参りが定期的に頻繁に出来るのも、そこで代々が定住しているからにほかならない。」

⑥ 神仏習合の背景

「われわれ日本人の信仰の形態は、はたして宗教といってよいのかどうか。それほどに曖昧で融通性がある。少なくともキリスト教社会やイスラム教社会ほどに、戒律を重んじることがなく、したがって生活面における宗教的な規制も少ない。キリストとかアッラーに相当する唯一絶対神といったものがなく、われわれの宗教的な観念の中には実に雑多な神仏が混淆して存在する。強いていえば、もっとも執着するところは、祖霊ということになりはしないか。祖霊をないがしろにすることは、これまでの日本の社会では許さざる冒涜というものであった。その祖霊信仰が、仏教の中にも神道の中にも根強く継承されていて、それゆえ仏教と神道が長く共存してきたのではなかろうか。」

本当に勉強になりました。
確かにお寺の場合は「説法」「法話」「講話」などで、お経自体や様々な様式の説明を含めた話をしていただくことが当然のようにありますし、仏教書は中村元先生のご著書を始め沢山出ています。一方、神道については神主さんらから細かく教えていただくような機会は本当に記憶にありません。せいぜいあってもそこの神社の縁起について位でしょうか。
とって実は意味があることを神崎氏の話で知りました。著書をもっと読まねば。

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