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ちょうど広島市の図書館に「五代目古今亭志ん生全集」が入り、どうやら全8巻あるうちの6巻までは貸出できるようなので、まずはその第1巻を借りたところでした。

第1巻の演目は
「火焔太鼓、三枚起請、安中草三(上・下)、風呂敷、本所七不思議、宿屋の富、船徳、お初徳兵衛、義眼、汐留の蜆売り、蔵前駕籠、強情灸、姫かたり、半分垢、真田小僧、粟田口、短命、抜け雀、文七元結、五人廻し」と志ん生師匠の十八番が並んでいます。

私はCD等で志ん生師匠の落語を音では聞いていますが、今度は目で追ってみようと思いつつ、CD聞きながら読むのがいいかなと思っています。
すると朝の地元紙のラテ欄を見ると「火焔太鼓」古今亭とあり、あれ志ん生か?と思ったら、志ん朝師匠の方。
この時間はもう布団の中なので録画です。

私は軽い笑いにする志ん生師匠、ホロリとくる志ん朝師匠というイメージ、先入観、固定観念?があり、それは私がドラマ等で志ん朝師匠が演じる役柄と重なるものでもありましたが、「甲府い」なんかは志ん朝師匠の雰囲気が出ているとても良い持ちネタだったと思います。

その志ん朝師匠の演芸指定席で演ずるのが、志ん生師匠の代表作である火焔太鼓。これはもう軽いも軽い話で、古道具屋の親父の軽さは志ん生師匠の話ふりにピッタリで、志ん生師匠の芸風をいきいきと見せてくれます。志ん朝師匠はどういう感じなのでしょうか、そういえば志ん朝師匠の火焔太鼓って聞いたことないかもしれない。志ん朝師匠の落語を久しぶりに映像で拝見できるのが楽しみ。もちろん録画を全集と見比べながら笑ったのですが、年齢の差なのか、志ん朝師匠の親父は気風の良い語り口で、江戸っ子でした。
ただ、語りが早いので、志ん生師匠の少し抜けたところが薄く感じたのはテレビの収録時間の問題もあったのでしょうか。もう少しゆっくりが良いなと思ったのですが、それは聞く側の私の年齢の問題?はたまたこの時期の社会が急げ急げの風潮で、落語のペースもそれにあわせたから?だとしたらいまなら1.5倍速で聞きたい人が多いのかも、内容はググって事前に知っているし、タイパからすると早く「おじゃん」を聞いて拍手したいという所なのかな。
志ん朝師匠の「火焔太鼓」はほぼこの全集の通りでした。マクラとかは違いますがね。

折角なので本の作品解説から「火焰太鼓」を無断引用

「元来は軽い噺であったようである。それもあまり面白い噺ではなかったという。初代・三遊亭遊三の『火焰太鼓』がどのような内容のものであったか、知る術もないが、志ん生はその初代遊三のものを聞き覚え、昭和の初めごろから高座へ掛けるようになったと、自分で述懐している。おそらく、初代遊三の「火焔太鼓」は、志ん生のものとはかなり違ったものであったと思われる。
とにかく全編がくすぐりの連続であり、志ん生によって古今稀な珍しい噺となっている。つまり、志ん生自身の言葉でいえば『くすぐりを取ると噺がなくなっちゃう』のである。それだけに『火焔太鼓』は、志ん生落語の骨髄であり、この一作だけをもってしても、五代目古今亭志ん生の名は、後世に永く残るといっても過言ではあるまい。
本文に収録するにあたり、8本のテープを試聴したが、筋の運び方、くすぐりの入れるところ、ほとんど差がない。ただ、マクラだけはそれぞれ異なっており、売り声の説明から入ったり、地口行灯の話から入ったり、天丼の噺から入ったり、まさに多彩である。時間も短いので20分、長くても30分というふうに、見事にまとまっている。
弟子である馬之助の話によると、かつて神田の立花で、じっくり45分もかけて「火焔太鼓」を演ったことがあるという。それもゆっくりとした語りで、人情噺風であったという。お客はクスリとも笑わず、立花の席亭であった松内則三氏をして『こんな火焔太鼓は生まれて初めて聞いた』と言わしめたという。そんな志ん生の「火焔太鼓」など、想像もつかないが、実話である。」

さてタイトル写真は全集の方で、道具屋の親父が太鼓を買ってきた、と女房に告げる場面。
ふりがなに「いち」とありますが、生まれて初めて見た漢字。読めないので編+出+米でググると

出てきました。

読みの一つに「せり」とあり、なるほど「競市(せりいち)」のことなんですね。
親父は一分金で競り落としたということか(志ん朝師匠の落語では2分になっていましたからインフレだったのかな)。
一分は今なら15,000円、それが300両で売れたから、1両=4万円とすると×300=1,200万となりますから、そりゃ、座りしょんべんになるわけでしょう。

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