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三時 読み比べ

先日図書館で「アメリカン・マスターピース 準古典編」(柴田元幸翻訳叢書)を借りて読みました。

借りたのは柴田氏の訳に興味があったことと、その中に「コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)」の「三時」があったから。

今回は柴田氏訳ですが、私が読んでいたのは創元推理文庫の「アイリッシュ短編集6」(村上博基訳)だったので、アイリッシュ節や彼独特の時間との追いかけっこというストーリーは良く出来ていることは承知しておりますが、今回はチャンスなので柴田氏訳と比べてみることにしました。

先ずは独特のアイリッシュ節の世界に引き込まれる冒頭部分から。太字の部分は私が違いに引っかかったところです。

村上博基訳
「あの女は自分で自分の死刑執行令状を出してしまったのだ。おれのせいじゃない、あれの自業自得だ、と彼は何度も自分にいいきかせた。相手の男を見たことはない。ただ、いることはわかっている。6週間前からわかっている。いろいろ小さなことからそれは知れた。ある日、家へ帰ると、灰皿に葉巻の吸いがらがあって、一方の端はまだぬれ、他方はまだあたたかかった。家の前のアスファルトに、ガソリンのしみがあったし自分たちは車を持っていない。配達の車ではない証拠に、しみのぐあいは長時間、たぶん1時間以上の駐車をしめしていた。一度など、この目でちらと見かけた。バスをおりたとき、車は3ブロックむこうのかどをまがるところだった。
中古のフォードだった。彼が帰宅すると、彼女はなんだかひどくおちつきをなくしていて、自分がなにをいっているのか、なにをしているのか、わからないらしいこともよくあった。」

柴田元幸訳
「彼女が自分で自分の死刑執行令状にサインしたのだ。俺のせいじゃない、あいつの自業自得なんだ、と彼は何度も自分に言い聞かせた。相手の男を見たことはない。でも男がいることは知っている。知ってからもう6週間経つ。いろいろ細かいところからわかったのだ。ある日帰ってくると灰皿に葉巻の吸い殻があって、一方の端がまだ湿っていてもう一方がまだ温かかった。家の前のアスファルトにガソリンが垂れていた。そして自分たちは車を持っていない。配達の車でもない。垂れた跡から、車が1時間以上駐まっていたことは明らかだったからだ。一度はその車をつかのま見もした。ちょうどそれが向こう側の角を曲がると同時に、彼が反対側に3ブロック離れた停宿所でバスを降りたのだ。中古のフォードだった。帰ると彼女がひどく慌てていることもしばしばで、自分が何をやっているのか、何を言っているのかも上の空の様子だった。」

冒頭部分は村上訳の方がいい感じじゃないでしょうか。

次いで、疑惑の真相がわかる中盤部分

村上博基訳
「男はポールに打ち明けることには心がきまらぬようで、すくなくともそれつきりなにもいわなかった。そんな男を説き伏せようとしてか、彼女はつづけた。
『ポールのことなら心配しないで、デイヴ。あの人のことはあたしがいちばん知ってるから。だいいち、いつまでもこんなことをつづけていられないでしょう。あの人にみつかるのを待つより、こちらから打ち明けたほうがいいわ。でないと、あの人は変なふうにかんぐって、自分の胸にしまいこみ、かげであたしを恨みかねないわ。現にほら、このあいだいっしょに部屋をさがしてあげた晩、あたしは映画へ行ったことにしておいたけど、あの人はじなかったみたい。毎晩あの人が帰ってくると、あたしは気が気でないの。いままでばれなかったなんて奇跡よ。まるであたししまるで浮気かなんかしてるみたいにうしろめたくって』彼女はそんなたとえを持ちだしたことの申しわけみたいに、照れた笑い声をあげた。
いまのはどういう意味だ。
おれのことはいちども話してないのか』
『これまでにも。って意味?ううん、話したわ、よくないことにかかり合ったことがあるって。でも、あたしもばかだったの。いまじゃ行方知れずで、どこにいるかもわからないみたいに思わせてしまったの』
その話なら、彼女の兄貴のことだ!」

柴田元幸訳
「男は明らかに、ポールに秘密を明かすことに懐疑的だ。少なくともさっきから何も言わずにいる。男を説得しようとするかのように、フランが先を続けた。『ポールのことで心配は要らないわ。私にはあの人のことがよくわかってる。それに、いつまでもこんなふうにやって行けないでしょう?ぐずぐずしてあの人に勘づかれてしまうより、こっちからあなたのこと打ち明ける方がいいのよ。ちゃんと説明しないと、下手をすればまるっきり誤解して、勝手に一人であれこれ考えて、悪く思いかねない。このあいだあなたのアパート探しを手伝ったときだって、映画に行ってきたって言ったんだけど、あの人見るからに言じていなかった。とにかくあの人が晩に帰ってくるたびに私すごく落着かないのよ、いままで気づかれなかったのが不思議なくらい。何だか私、疚しい気になるのよ、まるで浮気をしている妻みたいに』。そんな比喩を持ち出したこと自体を詫びるかのように、彼女は何とも気まずそうに笑った。
どういうことだ?
のこと、一言も話してないの?』
『はじめのころに?話したわよ、あなたが一、二度困ったことになったって。でもあとは、ほんとに愚かだったわね、あなたの消息がとだえたって思わせることにしたのよ。もう行方もわからないんだって』
前に言っていた、のことだ!」

この箇所からは村上訳の方が庶民性が高い。柴田訳の「僕」という呼称は少々いただけないが、一番驚いたのは村上訳は「兄貴」柴田訳が「弟」という所でした。でも妹が兄を助けるのと、姉が弟を助ける比較をすると、本当は妹兄という柴田訳の方が適切かも。原典を読まねば。

そしてラストの場面

村上博基訳
ぐしょぐしょにぬれ血でよごれたさるぐつわをひき抜くと、声は一挙に噴きたした。吸引か浸透の原理で、さるぐつわのあとから笑い声がついてきたみたいだった。
『いや、まだロープをほどいちゃいけない!』白衣の男が語気鋭く警官を制した。『まず拘東着がとどいてからだ。でないと手に負えなくなる』
フランは両手で耳をふさぎ、涙を流しながらいった。『その笑いをとめてちょうだい。ききたくないわ。どうしてそんなに笑ってばかりいるの』
『発狂したんですよ、奥さん』インターンは辛抱をなくさずに説明した。
時計の針は7時5分をさしていた。『この箱、なにがはいってるんです』普官はいって、足でなにげなく蹴った。箱は軽々と壁にそってすこしうごき、時計をいっしょにひっぱった。
なんにも』スタップの妻は、自分の嗚咽の合間から、夫のとまらぬ哄笑のなかに声を大きくしてこたえた。『ただの空箱よ。このあいだまで肥料みたいなものがはいってたんだけど、外へ持って行って花壇にまいてしまったの。裏庭に花を咲かせようと思って』」

柴田元幸訳
湿った血まみれの猿ぐつわを彼らが抜き取ると、震えは音に変わった。吸引というか浸透というか、猿ぐつわのうしろから笑いまで引っぱり出したように思えた。
『いや。まだロープは解くな!』白いコートの男がきつい声で警官を止めた。『拘束衣が来るまで待つんだ。でないとえらい手間だぞ』
両手で耳を押さえなからフランが涙声で言った。『その笑い声、止められませんか?私、耐えられません。何でこんなふうに笑いつづけるの?』
『発狂したんです、奥さん』インターンが辛抱強く言った。
時計は7時5分過ぎを示していた。『この箱、何が入ってるんです?』警官は面倒臭げに片足で蹴りながら訊いた。箱は壁に沿って軽そうに少し動き、時計も一緒に引っぱっていった。
何も入ってません』スタップの妻は涙ながらに、彼の止まない笑い声に抗って答えた。『ただの空箱です。何か肥料が入ってたんですけど、外へ持っていって花に使ったんですー私、家の裏で花を育てようとしていまして』」

このエンディングの部分はやはり村上訳の方が良い。ただ「震えは音に変わった」と言いう柴田訳はさすがであります。

この「アメリカン・マスターピース 準古典編」にはフォークナーの「納屋を焼く」も入っています。今度は村上春樹の小説「納屋を焼く」とフォークナーの柴田訳の類似性を比較してみようと思います。


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