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三角のハーモニー

毎年このシリーズをやっているが、今回も良かった。だいたい存じ上げない学者の著書を知り、図書館に予約して、正月明けの開館で借りますが、今年はこの3冊、早々に予約しました。

番組はこちら。7日に再放送があるそうです。

今回最も印象的だったのはこのトライアングル。シュンペーター、ケインズともに示唆していた三角。録画もしていたので写メ。

詳しくは番組を見ていただきたいが、この三つのバランスなくして正しい社会全体の幸福はない。
野放図な利益中心の企業活動を許す新自由主義は許されないし、政府が主導する独裁、権威主義、もちろんそもそも政府は前例主義にがんじがらめで、社会の変化に対応するには腰が重く、追いかけ体質。
市民社会は必ずしもまとまりはなく、マスメディアによる大衆迎合、ポピュリズムが暴走しかねないが、間違いなく問題、課題の現場であり、公平、分配の意識はある。

この三角のハーモニー無くして未来はない。つまり政府が過剰に旗を振り、企業や市場に介入することなく、企業も公益性を事業のベースから失うことなく、市民社会も分配の奪い合いをすることないようにしなければならない。当たり前のことではあるもの、実践されなければならない、そう受け止めました。

振り返ると私が学ぶ稲盛和夫氏の経営哲学は、京セラ、第二電電、JALといずれも氏が実践する中に、公益を強く強調されている。もちろん第二電電、JALともに政治的なタイミングもあったが、政府による規制緩和や政権ね転換があり、過剰な介入はなく、通信サービス、航空事業は好転し、市民社会にプラスだった。
なるほど三角のハーモニーとはこういうことかと認識できたのだ。

そこで考えたのは、ここ数年のコロナ禍についてである。
政府は迷走しつつ、湯水のようにコロナ支出を繰り返している。
市民社会は安心・安全の大号令のもと、不安の中、諾々と制限に従う日々。
企業は三分化。
大変な負担はあったが、コロナによる恩恵を受けた企業。一方大打撃の直撃を受け、経営が成り立たなくなった企業。その合間でなんとか生き残っている企業。
ともに市民社会のために受け止めざるを得なかったことではある。

そこで三角から考えて、正しくハーモニーはできていたのか?という疑問が残る。
今、政府は新型コロナをインフルエンザ並みの5類への見直しを考えているようだが、その前にこの三角のハーモニーの形を検証すべきではないだろうか?

山ほどの政府の支出は効果がどれほどあったのか、もちろんアベノマスクみたいな愚策や予備費の積み残し、コロナに関係ない防衛費への転用の危惧など、やりたい放題もあり、全てを公益とはいえないだろうし、使用期限越えのワクチンの大量廃棄もまた検証されていない。
結局お手盛りの予算はつけたが、支出、決算の検証がされていない。コロナ予算をさまざまな役所に分散してつけていることも管理を含めて見えなく(見えないように画策?)していると思う。

企業についてもファイザーやモデルナ、アストラゼネカにどれだけ払ったのか。
病院にどれだけ支援したのか、いわゆるエッセンシャルワーカーにどれだけ渡したのか。
くだらないコロナ関連システムをITコンサル、ITゼネコンに払ったのか。
賃金補償や休業補償もあるし、大騒動だったGO TOってどうだったのだろう。
企業のそこには「公益」という哲学があったのだろうか?

よくイベントがあると経済効果はいくら、と発言する学者やコンサルタントがいるが、コロナの経済効果について沈黙しているのはなぜ?

もちろん総務省が統計とかを管理しているが、こちらも杜撰な支出で解任された大臣、差別主義者の政務官のクビとうちわのゴトゴトで統計どころではなかったのかな。いや政府の統計は改竄ばやりで使えるものがないのか、どうせ出しても黒塗りののり弁だからやる気もでないのか、こういう状態だと三角のハーモニーにはほど遠い。

そんなことを元旦の夜、この番組を見て考えました。

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