見出し画像

日本地球惑星科学連合 高校生セッション

先日は「国際言語学オリンピック」という学生向けの大会のことを書きました。

今回もよく似た感じですが、この本を読んでこんなのもあるんだ、というのを知ったので紹介します。

それは「日本地球惑星科学連合 高校生セッション」という学会のコンテスト。ググってみるとテーマ見るだけで今年の発表もなかなかすごい感じ。

伊与原氏の「あとがき」を読んで、この学会の2017年に大阪の立大手大手前高等学校定時制、春日丘高等学校定時制がとりくんだ「重力可変装置で火星表層の水の流れを解析する」という研究を下敷きにして作られたフィクションだそうですが、とても面白い。

その中に本筋とは外れますが、定時制の学生のさまざまな環境を想起させる箇所、「親ガチャ」というのが出てきました。その場面、登場人物の老夫婦の会話を無断で一部抜粋します。

「あれと同じように、どんな親のもとに生まれるかは運次第で、それで人生が決まっちゃうってこと。今の若い人がよく言うらしいの。わたし、ここで一日中テレビ見てるから、すっかり最近の流行りに詳しくなったわ」
 妻がそんなことを言い出したのは、さっきまで科学部の生徒たちの話をしていたからだろう。昨夜アンジェラから聞いた、岳人のディスレクシアと佳純の中学時代の話だ。
「流行りか何か知らんが、何を今さら」省造はパイプ椅子に腰掛けて言った。「どんな家に生まれるか、当たりはずれがあるのは昔からじゃないか。私なんか大はずれもいいとこだ。カプセルの中は空だったよ」
 江美子は鼻の酸素チューブに手をやり、小さく声を立てて笑ったが、すぐに「でもねえ」と真顔になる。
「わたしたちの時代のガチャガチャなんて、地味で質素なものだったじゃない。とくにわたしたちが育ったような田舎では。当たりといってもせいぜい、高校に行けるってぐらいで」
「そうだな。まわりを見ても、みんな貧しいことには違いなかった」
「今の若い子たちのガチャガチャは、たぶん、もっとキラキラしてるのよ。少なくとも彼らには、そう映ってる。インターネットやらSNSやらで、お金とか見た目とか才能とか、いろんなものに恵まれた世界中の若者がすぐ近くに見えちゃってる。 そこで自分の引いたカプセルがはずれだったら、そりゃあやり切れないと思うわ」
「―なるほどな」
「それに今は、この先どんどんよくなるって時代じゃないもの。一回カプセルを引いたら、それで人生決まりって思っちゃうのも、仕方ない気がする」
 確かに自分たちは、明るい未来だけは信じることができた。だからこそ恵まれない環境でも頑張れたのだし、実際、ほとんどの人々が確実に豊かになった。今の若者たちが物質的な豊かさを求めているのかどうかはわからないが、何も約束されていない彼らに、甘いだの頑張れだの言うのは的外れなことなのかもしれない。

以上ですが、私はガチャって本当にしたことがありません。運を天に任せというのはあまり好きではないのだと思います。ほしいものはダイレクトに手に入れたいし、いや所詮手に入れても…と執着心が薄いのかもしれませんが、それは高度成長期と重なってやはり豊かな時代を過ごしたから、執着心が甘いかもしれません。
先日Zoomでの勉強会(稲盛フィロソフィー)があり、その時の項目が「夢を描く」でした。夢の大事さはお互いに理解できます。その上で数名で話し合いましたが、皆、では自分の夢は…と語れないのです。そこでなぜ夢を描くのは難しいのかという話し合いになり、自分なりに出た結論は

① 来年、再来年というような具体的な目標なら上げることはできるが、夢というレベルになると口に出ない。
② それは目標は現状から描くことができるが、夢は現状とは離れた未来から描くからではないか
③ つまり子どものころ自由な夢を口にすることができるのは、現実にからめとられていないからで、徐々に夢を語れなくなるのは現実にがんじがらめで「所詮…」と自分で自分を拘束するから。

で、来月の勉強会で「夢を語る」というテーマで各自が発表することになりました。「ガチャ」だと夢など描けません。ガチャする現状・現在しかそこにはないですからね。とすると夢を描く対極にある行為はガチャなのかもしれません。
で、この小説は夢を描くことを書いており、良い余韻を貰えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?