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便りのないのが良い便り

昨日の続きになるのですが、中井久夫氏のテキストを四回目まで読んで気づいたこと。もちろん録画していたものと来週の最終回を見なければと思いますが…
並行して読んでいるのがエマニュエル・トッド氏の「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」です。

本当は情感から読むべきだろうが、図書館で借りたのが下巻の方が先のゲットしたので、下巻から読み始めています。トッド氏の地域により異なる家族制度に基づいた視点はまことに興味深い。日本は直系家族型社会なのだが、世界の同様のジャンルの中でも随分特異で変質しているようだ。
今回の中井氏の100分の三回目は地域において特有の現れ方があること、土着の中で現れるものだから、普遍的に「統合失調症」として一括りにできるものではないことを指摘されているが、これもまたトッド氏の家族論、文化の背景による違いが生み出す各国民の根っ子の違いを想起させてくれた。

気づきの一つは、いわゆる統合失調症は自分の中にも種があること。何かのきっかけでその芽が出たり、萎んだりすることを認識しました。それもまたその人に帰属する性格、キャラクターと言えるようです。

また氏は治療と看護という二つの役割を指摘されていますが、私がとらえるに、どうやらその両者は回復に対する捉え方が異なるように思いました。
治療は治癒とか寛解というゴールにたどり着くための補助手段、看護は患者が自分自身でその病気に向き合うための補助のように思います。
ゆえに前者はいかに早くゴールにたどり着くかが目標となり、場合によっては直らない病気は積極的に手は出さないでしょうし、一方後者は速さより、目的地までゆっくり伴走するという見地になるのではないでしょうか。

もちろんともに医療には必要なことですが、中井氏により統合失調症等の精神科病についてもゆっくりと快方に向かう看護による道筋がみえるようになったことは素晴らしいと思いました。

いずれにしても冒頭に書いたように精神病は私の中にもあること。その現れ方がキャラクターとしてのものか、それがあふれ出て自分でなかなかコントロールできなくなるのかの、本当はわずかな違いに過ぎないことも印象的でした。

先日新型コロナ感染でホテル療養を1週間ほどしましたが、その間部屋からほとんど出ることなく、また他者と会話することもありませんでした。外界との接触はわずかに別のホテル療養中の女房とライン電話でやりとりするだけ。後の時間は部屋のテレビで映画を見るか、持ち込んだ本を読むか、たまに仕事の指示をメールでやるかだけでした。そんな半分閉ざされたような時間を過ごすことはここ数年なく、振り返ってとても重要な時間だったと思います。

女房とやり取りをして、ホテルの部屋があまりよくなかった女房は結構ストレスが溜まり、血圧が上がったり、体調が芳しくない日もあるなど不安定な様子でしたが、私は全く変化なく、逆に会話をすると咳がひどくなることもあり、あまりしゃべらず、聞くだけでしたが、ストレスも感じませんでした。まあ、毎回の弁当には少々飽き飽きしたというのはありましたけど。
そういう体験をした事により、もしかしたらこういったプチ隔離であっても、大きなストレスが、精神的、心のバランスを崩すきっかけになりうること、また中には水があふれだして自分自身でコントロールできなくなる人もいるだろうということに気づきました。

私は今回比較的軽微な症状だったこともありますが、どうやら私は他者と会話することなく、短期間このような隔離生活を送ることはあまりストレスに感じない性格のようだということがわかりました。もちろんこの性格と認識しているものが統合失調症、さらに鬱に変化することもあると思いますが。確かに若い頃は一人で山に登り、何日か会話をしないのも平気でしたし、今でも旅行も一人旅や、一人時間を選択しがちでした。ひっつきもっつきでなく、もともとそういう選択をする性格、性質を持っているのだと思います。

今回の短期間の隔離は、自分がストレスに思わない性格だということが改めて再認識できたので、今回のホテル療養がとても良い機会だったと思います。
もちろんスマホやPCなどの使用が出来たので、デジタルデトックスとまではいきませんでしたし、そういう機器で外界と繋がっている安心感はあったと思います。
それでも、いずれ自分がさらに老化し、自宅でも寝たきりになったり、特養や病院等に入り、徐々に外界と接触が薄くなるということはこういうことなんだというのを少しわかったこと、それが自分にとっては決して大きなストレスにはならないんじゃないかと感じたことが一番大きな意味があったと思います。そういう時期が来た時に「もともとこういう性格だから、顔をわざわざ出さなくていい。いや来ない方がいい。便りのないのが良い便り」と家族に伝えておこうと思います。
新型コロナに感染して気づいた副産物でした。

それを忘れないためにも来年からは新型コロナに関係なく、1週間程度外部との接触を断ち、自分を見つめる時間を持とうと思います。

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