見出し画像

ビリー節

金曜に行った映画「ザ・ユナイテッド・ステーツ vs. ビリー・ホリデイ」には驚いた。

先週から上映していたが、昼間の時間だったのでとても行けず、金曜からようやく19時10分からになったので、見に行ったのである。
主役のアンドラ・デイの演技も凄いが、何と言っても歌が凄い。途中まではビリー・ホリデイの声に口パクかな?と思っていたが、いやそうではない。最後のエンドロールを見て、彼女自身が唄っていたのを知り、本当に仰天した。あの声、あのこぶし、心からの声、ビリー節というのがあるならまさにその節なのだ。

これを見に行ったのは、昨年ビリー・ホリデイのドキュメント「BILLIE ビリー」を見て、壮絶な姿に息をのんだからかもしれない。

「BILLIE」の方は彼女がだんだん声が出なくなった映像もあったので、胸が詰まる思いだったが、やはりそれでもレディー・デイの素晴らしさを痛感した。
私が最初に彼女のことを知ったのは高校の図書館で借りた「奇妙な果実」(油井正一・大橋巨泉訳)だった。

この本が高校の図書館にあったということは今考えたら凄いな~と思うね。ビリー・ホリデイという名前は聞いたことがあったので興味があって借りて読んだのだが、実のところとても印象的だったがそれほど残らなかった。
それは身近に人種差別というものを感じることが少なかったからだと思う。高校の頃、まだ半島出身者への差別は広島でもあったのは事実だが、それは「見て見ぬふりをする」ことでもあったと思う。半島出身者の方と話すのは、東京に行ってからだろうか。
黒人の人については見ることもそう多くはなく、ソウルやブルース、ブラックミュージック、そしてジャズを聴くようになったが、黒人というのはそういう存在で身近に差別を受けるような人とは感じていなかったし、言葉として人種差別は知っていたものに、実のところ何も思っていなかったのだ。

それが転換したのはもう四半世紀以上前になると思うが、仕事でアトランタに行った時だった。一緒に行った人はゴルフに行かれたが、私は一人で街をブラブラした。
CNNなんか行っても仕方ないので、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア歴史地区にある「キング牧師の生家」に行ったのだ。そこには、国立公園みたいなところにいるとばかり思っていた「パークレインジャー」がバッチリユニフォーム姿で居て、少々ビックリした。

事前の知識などロクすっぽなかったが、生家はとても印象的で、本当に行ってよかったと思った。
キング牧師が暗殺されたのは1968年だから、私が10歳の時。小学生の私にとっては、キング牧師はある意味伝説の人の部類。近しい感じは持たず、だから公民権運動、人種差別は教科書で習うものであって、決して身近なものではなかった。それがこのキング牧師の生家に行ってから少しずつ勉強するようになったのだ。

公民権法が成立したのは1964年だけど暗殺はその4年後だから、アメリカで「建前として」差別を禁じても「本音まで」は全然変わっておらず、結局先年のBLMでもわかるように、根は深い。

この映画でも最後に「エメット・ティル反リンチ法」はまだ成立していないと出ていた(ようやく先月末、バイデン大統領が反リンチ法案に署名、同法は成立した)。これもBLMの騒動があってようやく、ということだろう。先月まで米国は人種差別によるリンチは重大犯罪ではなかったのだ。
しかし、アメリカでは差別される側も声を上げ、それを支援する人も少なくないのは報道されているが、日本はどうか?ヘイトは許されないし、法的にも禁止されているが、今でもそれに類した言葉が聞かれるのはどういうことなのだろうか?

私は差別に理由などないと思う。あるのは「自分が差別される側になりたくないから、差別する側につく」それだけだと思う。そういう意味でキング牧師の生家に行くまでは、私は人種差別主義者だったと痛感している。決して積極的に異を唱えていなかったし、行動もしていなかった。本当に恥ずかしい。
だから当時「奇妙な果実」の本を読んでも、レディー・デイの歌を聞いても表面面しか感じていない薄っぺらな受け止め方だったのだ。
映画を見て今更ながら図書館に「奇妙な果実」の貸出予約を入れた。受け止めはどれだけ変わっているだろうか、私自身を確かめたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?