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昨年のリーダーは今日の長物

福沢諭吉は1857年のロンドンと1855年のパリの万博についての感想を「西洋事情」に記している。

「各国に博覧館を設けて、古来世界中の物品を集むと雖ども、諸邦の技芸工作、日に開け、諸般の発明、随て出、随て新なり。之が為め、積年は稀有の珍器と貴重せしものも、方今に至ては陳腐に属し、昨年の利器は今日の長物となること、間々少なからず。」

つまり各国の工業、経済の最先端を競う場で、極東の小国の珍品を見せ物にする場ではないということで、特にこの時期は帝国主義の覇権を競う時期であったから、国の威信と最新の技術力で他国をぎゃふんとさせる熾烈な国家間競争の場であったようです。ジャポニズムみたいな悠長なことを言っている場合ではない、日本も西欧列強の餌食にならぬためには最新の発明、産業化が必要だと指摘してると言えるでしょう。

今回本当に開催するのかいまだに疑問の大阪万博の諸邦の技芸工作が競い合う場なのでしょうか、今のようなネット社会でわざわざ一堂に会して見せあうような必要はどこにある?あるいは本当に肝のものなど見せるはずがない。
福沢諭吉がひりひりとした焦燥感にかられたような万博は今や存在せず、単なる人集めイベントに過ぎないが、それでも何を見せようというのか?

一時はグローバルの名のもとに「世界同時調達」「全ての国が市場」みたいな風潮もあり、世界的なマーケットが出現したように錯覚しましたが、結局は弱肉強食は変わらず、我が国はほとんど食べられてしまった側だったように思います。

先日もアップしましたが、わずか3年前の東京五輪、何が残ったのか?またどういう競技でどういう選手がメダルと獲得したのかなんて、ほとんど記憶にない。五輪もそういう過ぎ去っていく大会に過ぎないものになってしまったし、実は万博も賞味期限はとっくに切れたのだと思います。

こういうのは岩波新書で最近読んだ山本義隆氏の「近代日本150年」の冒頭に書かれていることで、とても面白い。

さらに山本氏の序文にはこういう記述もある。
「エネルギー革命の結果は、人口の変動に端的に表されている。江戸時代の260年間、日本の人口はほぼ3,000万人でほとんど変わらなかった。しかし明治維新後、日本の人口は急速に増加し、アジア・太平洋戦争の終了時にほぼ7,200万人を数え、その後も増え続け、1970年に1億をこえるにいたったが、2010年に1億2,800万人でピークを迎え、以降、急速な減少に代わっている」

江戸期は鎖国もあり国内のエネルギー生産量に応じた人口だったが、維新後は海外から石炭等の新たなエネルギーが導入され、それに対応して人口増になり、戦後は石油、さらに原子力等でピーク人口迄拡大したものの、結局は海外からエネルギー源を輸入し続ける無理が出てきている(円安が端的な例)ので、元に戻って国内で生産されるエネルギー量に応じた人口に戻るのは必然。もちろん江戸期のような木炭等ではなく、再生エネルギーということになるという論旨だと思う。

さてもはや記憶にほとんど残っていない五輪を開催した東京都ですが、只今知事選をしていますが、少々疑問があります。それは小池氏が公務と称して選挙運動掛け持ちで現知事という肩書を使いまくっていること。

実は首長選挙の場合は、日常の首長の業務があるので「職務代理者」というのを置くことが出来ます(義務ではありません)。私も以前広島市長にある事業の後援依頼を申請をした際、丁度市長選挙中だったので後援許可の宛先も、また頂いた許可書の許可者名も市長名ではなく、職務代行者名だったことを覚えています。
まあ私が依頼したの広島市の後援依頼でしたが、日常的に特に地方の首長は業務があるのが当たり前、それだけ日常に近いところで仕事をしていますからね。

しかし今回都知事が「職務代理者」を置かずに自分自身で公務を取り仕切っているということは少々疑問があります。選挙しながら公務も出来るの?
確か小池氏の前にやられた舛添氏は公費で漫画を買ったり(「イナズマイレブン」)、毎週末には湯河原の別荘の行き帰りに公用車を使うなどまあ、豪遊外交等様々でしたが、一番驚いたのは維新の大阪の方同様に重役出勤、重役退社というまあ驚くべき就業時間だったという記憶があります。
都知事は選挙という莫大なパワーと時間を使うことをしながら公務が出来るという、つまり都知事の公務って大したことないんだというのを露呈しているのではないでしょうか。まあ「量より質よ」と反論するのでしょうが。
多分都の職員にそのしわ寄せが行っているのだと思いますね。都の働き方改革はトップがちゃんと働くというのが一番効果があるのでは?もちろん他の首長も同様だと思いますけどね。

今日投開票です

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