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ひとり芝居 ソロ演奏

私が「土佐源氏」を読んだのは大学の頃だったと思います。もちろん宮本常一氏の「忘れられた日本人」(岩波文庫)でした。
「土佐源氏」は有名だったのですが、宮本氏が周防大島出身ということもあり、広島からも近いですから、その島から多くの人が移民、出稼ぎ、旅行に行ったと書かれていた他の作品の方がとても印象に残っています。

この本の底本は1960年だそうなので、氏が話を聞いたのは1940~50年頃となります。話を聞いた相手は古老が多いので、彼らは1900年までに生まれていたとすると、私の曽祖父、祖父母のあたりの人びとが語っているように思うのです。
私が間違いなくオーラルヒストリーの小さな話が好きなのは宮本氏の影響が大なのです。

この「土佐源氏」の舞台「梼原」に入ったことはないですが、一番近くまで行ったのは2015年に宇和島に行った時に寄った「畦地梅太郎記念館」でしょう。といっても記念館とは50キロも離れているのですが。

畦地梅太郎さんもあのデフォルメがいいんですよね。タイトル写真は館内の畦地さんの作業場の再現です。もう一度行きたいし、それなら足を延ばして梼原にも行ってみたいです。

さてその「土佐源氏」ですが、大学生時代から久しぶりに本棚から取り出したのは、NHKのBSプレミアムステージで「坂本長利のひとり芝居『土佐源氏』」を見た時でした。もう5年くらい前になりますね。
テレビでのひとり芝居は迫力がありましたが、ろうそくの灯りの元の演技はブラウン管越し(?)でも鬼気迫るものがあり、なんとしてでも本物を見たいと思ったのです。
宮本さんのゆかりの周防大島での芝居もあった時期なので、いつかは行きたいと思いつつ、結局コロナ禍の影響で生を見ることは出来ませんでした。

日々積み重ねることが「職人」だとしたら、今の時代は「タイパ」ですからこのような人、事は顧みられることはないのでしょう。
タイパは薄っぺらい、嘘ものを量産するだけだと思います。「本物」との出会いは一期一会。

今は色々なイベントで観客がスマホをかざして写メっているのを見ますが、あれはどうしようもない姿。スマホのレンズじゃなくて、もっと自分の目で見た記憶を信じるべきでしょう。本物はその空間のすべてが脳に押し寄せてくる。そんな感じだと思うのです。

新聞に丁度私の大好きなクラシックギターの「朴葵姫」さんが6月に三原のポポロでやる公演の広告が出ていて、直ぐに予約しました。

坂本長利さんはひとり芝居ですが、朴葵姫さんもソロ。

今回は「バッハ」の新作が出たばかりなので
「ポポロでバッハを弾く」とあります、演目も
前奏曲、フーガとアレグロ
シャコンヌ〜無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 二短調
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ長調
とあるので、この4月に出る新作をバッチリやってくれるんですね。

コロナで延期になった東広島での演奏が、朴葵姫さんの演奏を聞いた最後でした。コロナ禍のあの時弾かれた1曲がマーラーの「アダージェット」。
マーラーの意図は「愛の証」だったようですが、ヴィスコンティの「ベニスに死す」では、コレラがベニスの街を襲うのが背景にあったので、「愛と死」というイメージになりますね、。それで演奏は新型コロナと重なり、胸がいっぱいになりました。今回また「本物」を全身で楽しみたいと思います。

坂本長利さんのご冥福を祈ってアダージェットを。


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