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土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)

雨水の時期ですが、朝起きるとうっすらと雪が。この頃は「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」とのことで、雪が解け、土が目を覚まし動き始めるころということになります。
今年は寒い冬になりましたが、春は間近で、時は巡ります。

松本零士氏が亡くなられたそうです。氏の全く新しい作品は随分出ていないので漫画家としては隠居されていたのかなと思っていました。
彼の代表作はやはり宇宙戦艦ヤマトであり、キャプテンハーロック、銀河鉄道999ということになるのだと思います。

私は宇宙モノには当初からあまり興味が無く、松本氏と言えば四畳半物の「男おいどん」のサルマタケの方が親しみがわきますが、実際のところ、私は松本氏の描く絵が好きではありませんでした。好みじゃなかったといった方が良いでしょう。

また、広島で昨今騒動になっていたのが、中沢啓二氏の「はだしのゲン」が小学校の学習教材から外されたこと。

まあ唐突な感じもあり、本来は決定より先に議論があるべきだったとは思いますね。実は私はこの中沢氏の漫画ですが、話はいいけれど、絵は嫌いでした。これは松本氏同様に好き嫌いの問題。もちろん内容ではありませんよ。絵の中でもキャラクターの描き方が惹かれないんです。昨今でいえば「鬼滅の刃」のキャラクターがこれにあたり、全然話に入り込めないんです。

もちろん漫画家の方が必死でまさに血と汗と涙で描いていることは、ETVの「浦沢直樹の漫勉・漫勉neo」でいつも拝見して驚嘆しております。
漫画家の筆から噴き出す思いに、卓越した技術が重なると物凄いものが生まれるのだと思うのです。
そこが松本氏、中沢氏は随分と物足りなく感じてしまうのは私の眼力のなさとは思いますけど…。

「はだしのゲン」の騒動についていえば、一番の問題は中沢氏に続く原爆の悲劇を描いた漫画家があまりにも少なかったということとではないでしょうか。もちろん「こうの史代」氏のようにすぐれた作品を書かれた漫画家はおられますが、こうの氏の漫画の主人公が被爆体験をしたのは、大人になった時で、子ども時代ではなかったてすね。

つまり「はだしのゲン」が出た1973~85年以降、被爆した少年少女を主人公とした漫画はほとんど世に出回っていないということになりますから、「原爆をテーマとした漫画=はだしのゲン」として、40年近く停滞したままだということが最も重大な問題ではなかったか。

当然ながら、40年以上経てば社会も大きく変化してしまいます。漫画はひとつの流行に乗った表現方法ですから、読者の変化に少しでも沿わなければ、マンガとしての命が続かなくなります。
つまり、今の子どもたちが身近に、かつ臨場感をもって読める原爆の漫画が「ゲン」以降に生まれて無いことが今回の出来事の背景にあるのではないでしょうか。

あまりに松本氏、中沢氏のことを低く評価してしまったような書き方になってしまいましたが、私はお二人の構想力は卓越したものがあると思います。松本氏の作品が、アニメーションでより臨場感を増したように、中沢氏も他の作家によって、今の読者に手に取られやすくなるようリメイクされても良かったのではないかと思います。

昔から平和に関する会合や議論の際に、「私、広島です」という言葉が出てしまうと、議論が終わってしまうような切り札的な言葉になり、深い議論に進まないことがあると言われ、実際私も感じたことがあります。
それ同様に原爆漫画=はだしのゲンについても、いつのまにか批評することがタブーになっていたのではないでしょうか。

マンガの世界でも、先人が耕した土の下に新たな命が蠢き始める「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」でしょう。テーマは原爆であってもとらえ方が今の子どもたちに突き刺さるような新たなものが生まれることを心より期待します。

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