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帰りなんいざ

そういえばコロナ前は良く美術館に行っていたな~と思った。出張のついでが多かったので、東京界隈が多かったのだけどね。でも北海道から沖縄まで美術館や博物館は行かせてもらいました。
昨日、旧盛和塾の機関誌をメーリング経由で輪読する「機関誌マラソン」の感想を書いていてふと思いだしたのです。
今回読み返した機関誌は、東日本大震災のまさにその年に開塾した盛和塾福島の紹介号でした。機関誌を読み返し、開塾時も、またそれからも凄まじい経験をされたことに改めて頭が下がりましたが、当時の自分の経験も思い出しました。


震災の翌年の7月に仕事で宮城県に行く用事があり、知人のいた「女川町」にボランティアとして伺いました。1年経ってはいましたが、そこで見た光景、また聞いた話は足が震えるような思いでした。

帰りにはたまたま福島の県立美術館で私が好きな「ベン・シャーン展」が開催されていたので寄りました。もともと県立美術館にはシャーンの「ラッキードラゴン」など所蔵作品がありますが、特別展としてニューヨーク近代美術館などアメリカから70点運ばれてくる予定でした。しかし放射線理由で米国側が公開を渋り、館は展示を断念し、写真や複製パネルの展示となりました。

実はこの展示に行ってよく分かったのは、シャーンの作品で展示予定だったものに「写真」が多くあったのです。放射線により銀塩写真は劣化しますから、当たり前と言えば当たり前の処置だったのでしょう。しかし、私はこの時海外からの冷静な、視線を始めて感じ、冷水を浴びたような気持ちでした。ああ、世界は(米国ですが)こういう見方をしているのだ…。
当時だけでなく、今でもまだまだ福島の事故では曖昧な対応や、情報提供が続いています。それに対して一様に「風評被害だ」と言うのですが、実のところ国内より、未だに海外では相当突き放した評価なのではないでしょうか。その為にも場当たり的ではなく、正確で厳格な情報公開が必須だと思います。

このベン・シャーン展、とにかく素晴らしかったのですが、その理由の一つに福島でやったことが間違いなくあると思います。ラッキー・ドラゴン、福島原発事故、それに私は被爆二世でもありますから、絵の前に足を止めると深く深く感じ、考えることが出来ました。ベン・シャーンが意図しなかったことでしょうが、福島で事故の直後に展示される意味がさらに作品の奥行きを広げるものでした。
芸術はその時だけでなく、その後の場と時のタイミングで、見るものにインスパイアを与えるのだとつくづく思います。
当時の顛末については「福島の美術館で何が起こっていたのか」という本があるので是非読まれると良いと思います。


とても印象に残った展示会の一つに横浜美術館で2015年に開催された「蔡國強」氏の「帰去来(ききょらい)」というテーマの素晴らしい展示会がありました。

圧倒されました。「蔡國強」氏は福島のいわき市で若き頃活動され、福島ともとても縁が深く、彼と地域の人がが深くかかわった「いわき回廊美術館」のことは「空を行く巨人」で紹介されています。

その「蔡國強」氏が、世界に広く知られたのは2008年の北京オリンピックの開会式、閉会式のビジュアルディレクターを務めたことだと思います。彼お得意の花火を使ったもので、CGとの合成もあるそうですが、テレビで見ても凄いものでした。それは、蔡氏の福島での活動やその後の世界的な芸術活動にも繋がっていると思います。振り返ってみると五輪の花火は、中国の芸術家による現代美術を世界に認識させた画期的なものだったのではないでしょうか。

ところで、昨年の東京五輪は芸術面で何か残っているのでしょうか?貧相な二番煎じのクールジャパン?
どうやら残ったのは招致の際(オ・モ・テ・ナ・シの頃)経費が7,340億円だったはずが、組織委の最終報告では総額1兆4238億円となり、関連経費を入れるとどうやら実は3兆円超えという報道もされているのには呆れます。
3兆円かけて競技場などのハード以外に何が残ったのかな?これじゃあクールジャパンどころかコールドジャパン=芸術にお寒い日本ですな。
東京五輪の総括には文化芸術はどう報告されているのだろうか?


蔡氏の「帰去来」は陶淵明の「帰去来辞」から来ているようです。今の世界、特に日本のあるべき姿を示していると思うのは私だけではないと思います。


最後にご紹介は、埼玉近代美術館の「ベン・シャーン展 線の魔術師」のA2チラシです。

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