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年の瀬ですが謝罪について

今日で会社は仕事納め、でも経理の締めは30日だし、私も銀行関係の対応で出る予定です。
一年間本当に社員のみんなは頑張ってくれました。心から感謝したい。新年5日が初出で、毎年氏神様にお詣りしてから新年の挨拶をします。

今日は大掃除+新年挨拶の準備に、延び延びになっていた社員との面談を予定しています。
年末年始の期間、社員全員(家族も含む)が健康で朗らかに過ごすことを心から願う。もちろん新型コロナや交通安全、事故にあわないことも毎日神棚に手を合わせているが、これも同様です。

さて昨日家に帰ったら遊びに来ていた姪の子どもが庭で遊んでいて隣の家にボールを落としてしまったとのこと。
(これからは身内の恥なのでサラリと読んでください)

「そりゃいけんじゃないか、謝りに行ったのか?」と聞くと、お袋から「行っていない」とのこと。「100均で買ったような安いボールなので、もういい。」と返事が返ってきたので仰天した。

「いやいや、100均云々はこっちの勝手で、先方はどう思うのかは別の話。謝るのが先だろう。」と年末にお袋を叱責する羽目に。
本当は妹と姪が付いていたので二人がその時に対応すべきだが、お袋が「私がやっとくのでいいから」と言ってしまったようだ。その挙げ句ほったらかしとは情け無い。

結局は、先方は日中普段自宅におられない家、夜もご不在の時間が長いということで、お詫びの手紙を女房と四の五のない知恵を絞り考えたものを、今朝出勤前、先方の郵便受けに入れました。

正月には妹や姪(その子も)も年賀の挨拶に来るようなので、新年からどうかとは思うが、やはりひと言、小言を言わねばならんかもしれん(ジジイになったもんじゃ)。


悪いことをしたり、失敗したら、その時にその人が謝ることが当たり前。謝るのを他の人に任せるのはもってのほか。
子どもであったら、大きくなっても謝ることができない、誰かに謝ってもらう、あるいは失敗を誤魔化す人間、さらには悪いことが悪いとわからない人間になりかねない。

妹や姪や子どもの周りにいる人も普段は「悪い事したら謝りなさい」と教えているのだろうが、実際は大人自身も出来ていないのだと思う。
大人がそうだから子どもも、家族や友だちというような顔見知りに対しては謝罪が出来るだろうが、知らない人に対しては正面から謝ることが出来ない人間になるんじゃないだろうか。

丁度飯能で信じられないような殺人事件が起きたが、あれもご近所の関係ようだ。
亡くなられたご家族と、犯行に及んだ容疑者との間に何があったかということはおいおい出て来るのだと思うが、それぞれどういう思いのずれがあったのかは、もはやわからない。
仮にある出来事があり、片方が謝罪し、反対がそれが不十分と感じることがあったのかもしれないし、責任などないと謝罪すらしなかったのかもしれない。しかし何かがあったのだと思う。

悪いことをしたり、迷惑を掛けたら謝るのは当然。そんなのは当たり前だと思っていても、やらないと自分の心を黒く汚すことになる。
でも謝るのには勇気がいるし、さらに人間というのは失敗をするものだ。
だから失敗したら謝る習慣を積み重ねて、謝る勇気を少しずつ育て、鍛えることが大切だし、その周囲の大人が自らの失敗でどう振舞うかを、特に子ども時代にはしっかりと見せることも大事だと思う。
謝ることは、自分の心の汚れを少しずつきれいに拭いていくことだと思っている。

しかしながら残念なことに毎日のニュースでは「謝らない人」が目立つ。
問題のある行動をして罷免された大臣、差別的言動を繰り返し辞任した政務官、自ら「適材適所」と任命したにもかかわらず「任命責任を痛感」というだけで、責任をとるすべを知らないトップ。
これらの人は「謝る」ことが大事と教えられたのではなく、「謝らない」ことが得だという育て方をされてきたのだろうと思う。
国のトップたちがそれだから、国民も「善悪」ではなく「損得」で判断するという倫理観に満ち満ちた国民に堕落したのではないかな。

ちなみに政務官が
「発言を聞いて応援してくれる支援者もたくさんいる。私を支援してくれる方々がいっぱいいるので、その方々の代弁者として、しっかり政治家として頑張っていきたい」

というのは、政府に対してやめることで責任は果たした、でも発言、真意は変えるつもりはありません。といっているわけで、謝罪の最後にこれを付け加えるとなると世間では「鼬の最後っ屁」あるいは「捨て台詞」として扱われる最も卑しい言葉であることを指摘しておくと同時に、首相、総務相の顔に泥を塗っていることも全く思い浮かばない愚かな人間であることを自ら示している。

ついでながら、飯能の事件で「あれッ」とおもったことがあります。
それは昨日の9時の国営放送の最後に「今入ったニュースですが」として被害者の女性(娘)さんの勤務先の広告代理店のコメントが読まれました。これって、背景もよくわかっていないこのタイミングで国営放送のニュース枠でわざわざ取り上げるべきものなのだろうか?広告代理店への配慮なんだろうな、と嫌らしく感じてしまうのです。

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