見出し画像

ドリー・ベル

横川シネマでクストリッツァ監督の二本立て。名作「アンダーグラウンド」は封切りの時に見に行ってノックアウト。その後も何度も腰を抜かしながら繰り返し見ています。
今回はクストリッツァ監督のデビュー作とあり、こちらを見にいきました。

1981年の昨品ですからユーゴ内戦の前のサラエボが舞台。アンダーグラウンドは1995年だから映画の内容も内戦どストライク。それだけに「ドリー」では内戦前のサラエボの街の風景、主人公の家族が引っ越すであろう高層住宅がニョキニョキと高層クレーンで建設中の遠景が見えます。あれは内戦で全部崩壊したのだろう、街の石畳の街角もスナイパーが潜んで多くの血が流されたのだろうということも想像しました。
クストリッツァ監督が作った時はそんなこと全く想像しないし、新人監督賞を与えたヴェネツィアの審査員もまた。

さてそんな内戦前のサラエボの風景とは別に、この「ドリー・ベル」の感じはどこかで…で気がつきました。これってフェリーニのアマルコルド。

気がついたのは

1 両作品の主人公の父親が熱烈な共産党員、マルクス主義者であり、短気ですぐ頭に血が上るところ

2 両作品ともある期間の主人公の周りで起こる出来事を描く、主人公の青年期の成長物語であること

3 主人公の親戚の家の屋外での食事会の場面

4 アマルコルドはグラディスカ、こちらはドリー・ベルという魅力的な女性が出ること

5 そしてアマルコルドは母親、ドリーは父親の死があること

クストリッツァ監督のフェリーニ監督へのオマージュかなと思いますが、ドリーの中では「2400回のキッス」がユーゴの若者がイタリア語で歌います。私はゴールデン・ハーフ版ですけど。
もとはこちら。

よく考えたら、サラエボ(当時はユーゴ)とイタリアはアドリア海の彼方とこちら。直線距離ならサラエボと、アマルコルドの舞台イタリアのリミニは4〜500キロ程度ですから、広島から名古屋くらい。それくらいなら言葉も生活、特に流行に敏感な若者の日常は大差なかったのだろうと思いました。

さてそんな中、サラエボは今はボスニア・ヘルツェッゴビナですから、ムスリム、セルビア正教、カソリックの国。
ドリーの主人公の父親が亡くなり、おばさんから遺体をベッドから床のカーペットの上に移し、頭をメッカの方角にと指示され移します。ああムスリムだったのかと気づきますが、そこに父親の義兄が来て、こいつはガチガチの共産主義者だから無宗教、ムスリムなんて信じていない、ベッドに戻せと怒るシーンがありました。これも印象的でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?