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木で鼻を括る

この問題(事件)に対するあやふやな社会の姿勢にうんざりします。

LGBTQという運動はあるが、ここで行われていたのは同等の立場でのものではなく、圧倒的な権力者による性暴力以外の何物でもない。ご本人は亡くなっているが、だからと言って許されるものではなく、また死亡したことにより呪縛が解けて被害を訴えることができたんじゃないかとも思う。
これに対しての事務所の回答も酷い。

死人に口なし、正面から回答していないということは、こういった事件は山ほどやっていたんだろうと思うが、それは穿った見方だろうか。

先日Noteにもアップした統合失調症の家族のノンフィクション。これは遺伝によりある部分で過剰な反応が起こることにより統合失調症が悪化するという可能性について書かれたものですが、その引き金になるのは遺伝でなく、外部との関係が契機になるようでした。

12人の子どもの内、6人(すべて男子)が統合失調症を悪化させていきますが、その背後にあった恐るべき出来事は性暴力。それはこの家族と家族同然であった牧師によるものでした。というのは告白できたのは2人くらいなので、他の兄弟も同様に牧師と関りがあったが、無くなった人もいるので実際はらしい、ということになります。
父母は牧師という人を指導する立場を信頼し、子どもと深く接触することを何も疑問を持たなかったと事態が判明して後悔しますが。引き金を引いたのは紛れもなく牧師による性暴力で、その後数十年にわたり統合失調症を悪化、苦しませ、なかには自殺(殺人も)する兄弟も出たわけです。

今回のジャニー氏を告発したカウアン・オカモト氏は幸い遺伝にその要因がなかっただけで、仮に統合失調症に過剰反応する遺伝を持っていたら、ジャニーは性暴力だけでなく、傷害犯にもなろうかと思います。それだけに木で鼻をくくった事務所のコメントには呆れてしまいますし、もちろんこの事務所のタレントの出る番組等を見るたびに(めったに見ませんが)、このことが重なってくるでしょうね。
「木で鼻を括る」というのはこういう由来です。

さて丁度図書館で借りて読み終わったのがこちらの本「ギャリーストーカー」。東京新聞のインタビューはこちらです。

これは製作者と購入者、美術という世界でのアカデミックハラストメント等様々な問題を明示しており、どうも日本の芸術がパッとしないのはこの辺に問題があるのではないかとも思います。それはまたジャニー氏が作り上げた男子グループのパッケージ商品も同様。
本の中に美術・芸術界の構造とハラスメントの関係についてこんなところがあります。

「高い評価を得るには、普遍的で素晴らしい作品をつくればいいと思われがちですが、普遍的で素晴らしいと判断する価値観は、歴史的に西洋の白人男性によってつくられたものです。それが、明治時代に日本に入ってきたときに、男性知識人の価値観へとそのままスライドしました。ですから、批評家は男性中心で、彼らがピックアップする作品は男性作家が有利になるという構造があり、それが美術・芸術界ではハラスメントに結びつきやすくなっています」

これは鋭い指摘。ジャニー氏もこういう「構造」が生んだんだろうか。

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