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帰馬放牛

わたしは日曜朝のETV「こころの時代」をよく見ます。毎回凄い人や、頭が上がる話が心を打つのですが、多分土曜の午後の再放送より、朝というタイミングが良いのかもしれません。
2月25日はこちらでした。
阪神淡路大震災に遭遇した新長田の南側に暮らしていた菅さんの話。

長田の地域のコミュニティだけでなく、この番組では新潟の山古志の人とのつながり、今年の1月17日の慰霊祭では能登半島地震への寄付もされていましたが、確かにハードウェアは行政が中心でしょうが、コミュニティというソフトウェア、ユースウェアはもっと柔らかく、また長く携わるべきもの。もちろん大きさではなく、きめ細かさかと。

その慰霊祭に来られていた方の中に、福島の牧場の方が出ていました。なんで?と思いましたが、その方は被爆し放置された牛の面倒を見ているということで、凄い人がいるものだと思ったのですが、今週の「こころの時代」はその方が登場(うろ覚えですが多分この方)。本当にすごい人でした。

タイトルの185頭は吉沢さんが面倒を見ている牛の頭数です。

浪江で肉牛の牧場をやっていた吉沢さん、番組の中でも紹介されましたが、地震~津波~原発停止~原発爆発~全町避難と一つひとつとんでもないパニックになる出来事が24時間で連続して5つも起きた、その時どうするかは冷静に考える余裕などないとのこと。そして牛を飼っていた人は、牛を置いたまま避難、水やえさのない中餓死した牛もいました(衝撃的な写真でした)が、中には外に逃がしてもらった牛もいましたが、それらはその後野牛として殺処分されました。
吉沢さんは殺処分を拒否、もちろん被爆牛ですから肉牛として市場に出すこともできませんが、牛たちを死ぬまで飼い続けるという覚悟で牛と共に生きておられます。それを知った他の牛農家さんからの牛も預かり、補償金と年金を切り崩して日々過ごしている姿でした。
牛は20歳くらいが寿命だそうで、最後老衰状態で立てなくなった牛を牛舎に入れて口元に餌を与える姿は神々しく、仏の姿に重なりました。

結局、家畜とどう向き合うのかが試されているだけでなく、それは家畜を含めたあらゆる命とどう向き合うかなのだと吉沢さんは言っておられます。

タイトルの「帰馬放牛」は戦争が終わって平和が訪れること、再び戦争をしないことのたとえだそうです。 軍用の馬や牛を野に帰して放つという意からで「馬を帰し牛を放つ」と読みます。吉沢さんの牧場で、草を食んだり寝転んでいる牛たちが、吉沢さんが鐘を鳴らしたら寄ってくるのはまさにこの光景でした。確かにお金には一文もならない、亡くなるまで日々を暮らすだけの牧場ですが、牛たちにとってそうなったのは恐ろしい出来事はあったものの、その先にあったの生活は「帰馬放牛」平和な風景でもありました。

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