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村の鍛冶屋、町の看板屋

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島根の益田の県立石見美術館の入り口にあった道具を思い出しました。墨壺がずらっと並んでいて、使い方によって違うのだろうなと思いました。

こういう道具の展示で一番感心したのは、新神戸駅の近くにある竹中工務店の美術館「竹中大工道具館」でした。

ここが凄かったのは「鋸」がズラーっと並び圧倒されました。大工さんが使うものもあれば、山で大木を切る、製材する時に切る鋸が用途に応じて物凄く種類があったのです。大木を切るような鋸は当然ながら鋸自体も巨大で、どうやって使ったのだろうと驚くようなものでした。
もうあまり記憶に残ってないのですが、同じ用途であっても地域によって形やサイズが違っていたのではないかと。
それが冒頭のジュンテンドーの鍬に重なりました。

かつては村や集落ごとに必ず鍛冶屋があったといいます。そこで使う野良道具はその鍛冶屋が作り、メンテナンスしていきます。お客さんはその集落の人ですから、どういう用途で使い、どういう癖があるかは鍛冶屋さんは承知してますし、ボチボチ寿命だということや、懐具合もしっていたでしょう。だからほかの村の鍛冶屋に行くこともなかったし、逆に他の地域でどういう道具を使っているかもあまり情報は入っていなかったかもしれません。もちろん記事にあるように「作物や地質にあわせて現地の鍛冶職人が作っていた」わけで、その村の土や山の具合によって道具の形も違って当たり前ですから、山の向こうとこちらでは形が違うなんていうこともあったのかもしれません。
それが大量生産や消費社会に代わり、さらに離農も増えて村の鍛冶屋は廃業し、ホームセンターで安く買うようになったのだと思います。
まだ鍬は需要があるでしょうから、こんなに種類も用意できますが、竹中道具館で見たようなさまざまな道具は過去の遺物、民藝扱いになっていくのだろうと思います。

さて、都会では鍛冶屋さんのように町に1件はあった業種というのが「看板屋さん」。当社はディスプレイ等の出力サービスの部門もありますが、かつては看板やディスプレイは町の看板屋さんが書いたりプリンタで出力し、それを貼り付けたり、施工するという仕事がありました。看板やディスプレイは何年~何十年に一度は必ず書換、入替がありますから、それは鍛冶屋さんの需要と同じ。看板を取り付ける段取りとかも頭に入ってますから、街の看板屋さんに仕事が来ます。それも大きな看板もあるので、店からお客さんの所に運ぶとなると、自然と営業エリアも限定されたので、町に1看板屋というのが普通でした。そえが大判のプリンタ出力、メディアも貼り付けとかが容易になり、施工も運送会社や請負業者も出てきて、エリア外(鍛冶屋でいえばホームセンター)の業者に淘汰されていきました。

鍛冶屋も看板屋も職人にはそれぞれ技術がありました。プリンタやプレス機械で簡単に大量生産できるものではなく、お客さんに近いところでその技量は生きていました。それが淘汰され廃業となると、職人さんの復活は困難。鍛冶屋、看板屋以外にもそういった、村に一軒、集落に一軒、町に一軒という下支えしていたものが一度消えると終わり、墨壺もせいぜい数種類、鋸も用途に応じそれぞれ数種類というものになっていくのでしょう。

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