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『ウルトラマントリガー』はティガを表面的になぞっただけの模造品

https://www.youtube.com/watch?v=e8t11bHQOQg

ウルトラマントリガーの情報が解禁されたとき、ウルトラマンティガの再来をうたうPVを見て、それはもうワクワクした。
TVシリーズが終了して5ヶ月が経ったいま改めてトリガーを振り返ると、1話目が始まる前が一番楽しかったように思う。ティガと背中合わせに立つ新ウルトラマンのビジュアルが公開された時の心のトキメキを返してほしい。

ウルトラマントリガーの良いところ

ウルトラマントリガーは、アクションは良かった。トリガーダークのトゲトゲデザインであれだけ動いたり、360度カメラとCGの背景の合成といった新技術を活用したかと思えば、人形爆破や巨大な怪獣を用意したり、浅いとはいえプールで戦ったり、マンパワー全開で頑張ってて見応えあった。
ビルのミニチュアを並べて撮影するウルトラシリーズでは、巨大感を出すために下からアオリで撮るのが基本になる。ところがトリガー序盤では俯瞰のカットを多用し、新鮮さと規模の大きさが感じられたのも良かった点だ。

が、映像のいくつかの点以外で面白い点は無かった。

ウルトラマンティガの精神と後遺症

ティガは元々、旧シリーズからイメージを一新するために設定を大幅に変更したアバンギャルドなウルトラマンとして始まった。ウルトラマンを再定義するところから始まって、奇跡的にあの着地点に到達したのがティガだった。
「英雄の資格は何か」「救世主に選ばれた者の責任は」といった話を積み重ねた末に、「すべての人がウルトラマンになれる」という結論に至ったのがティガだった。だから今でもティガの怪獣といえばキリエロイド、イーヴィルティガ、ガタノゾーアあたりの印象が強いだろう。

これの何が画期的かといえば、人類がウルトラマンと対等になった点だった。
それ以前も人類はゼットンやマーゴドンなど数々の怪獣を倒しているが、構造的には「さようならドラえもん」だった。「ウルトラマンがいなくても怪獣を倒せるから、安心して光の国へお帰りよ」と。
ところがティガは、「のび太がドラえもんの開発者になる都市伝説」にまで踏み込んだようなものだ。ティガの英雄的行動によって人類は絶望の淵から救われ、同時に人類が希望を失わなかったからこそティガが勝利できた、という相互の関係が成立し、ウルトラマンはついにそれ以前のシリーズが抱えていた庇護する/される関係から脱却した。

だが、ティガの後遺症として、ウルトラシリーズは四半世紀に渡って光と闇というふわふわな言葉に囚われることになった。特にゼロ以降、ニュージェネはその傾向が強い。 フィジカル面でアリと巨人以上の差がある人類とウルトラマンで相互の関係を成立させるために、”心の光”といったスピリチュアルパワーを高らかに謳うようになったのだ。
段階的な玩具展開とストーリー展開の両立のため、ウルトラマンが精神的に未熟な若者と設定され、人類との絆(=光と表現される精神的なパワー)に支えられて成長し、迷い(=闇と称される内面の課題)を断ち切ってパワーアップ、と。
そのため、ウルトラマンが親しみやすいキャラクターになったのだが、その反面、神秘性が大きく損なわれることになった。
うるさ型のファンからやり玉に上がりがちな「ウルトラマンたるものオモチャをガチャガチャいじるなどケシカラン」という点だが、本質的にはこの部分ではないかと思う。オモチャがどうとか、表層的な要素は目に止まりやすいアイコンにすぎない。
つまり、ティガがウルトラマンの定義を変えたことをきっかけに、様々な模索の末にゼロがウルトラマンを「人類の隣人」として方向づけ、ニュージェネでさらに商業的に洗練されて「大きな仮面ライダー」程度のキャラクターになったのだ。

一応言っておくと、個人的にはニュージェネの路線は正解だと思っている。親しみやすさと神秘性はトレードオフで、ニュージェネは親しみやすいキャラクターに舵を切った。その判断があればこそシリーズが存続しているわけで、ウルトラがこれほど長期間続いていることは過去に類を見ない大成功である。
作られ続けているとノウハウが蓄積する。Zは従来のニュージェネ的な未熟なウルトラマンの成長物語や人類とのパートナー関係に加えて、ロボットによる共闘が加わった。この設定は革新的で、ウルトラシリーズがまた一つ次の段階へ進んだと思った。ティガ以降、精神面でウルトラマンと並んだ(むしろ根性でしか並べなかった)人類が、工学的にウルトラマンと肩を並べて戦えるようになったのだ。1/3人前のヘッポコと、運用コストをねちっこく描写されるロボットのバランスも良かった。

ウルトラマントリガーのダメなところ

さて本題、その上でトリガーはどうかといえば、まあ、ダメダメだった。

トリガーの縦軸は大まかに言って、
①ユナが抱える秘密
②カルミラとトリガーの因縁
③ダーゴンの人間への興味
④ヒュドラムとイグニスの対立
あたりになる。

①はストーリーではなく設定の説明に過ぎないので、いくら解説をされても話としては面白くならない。
②は個人的な話でしかないので、人類や宇宙の危機といったスケールと食い合わせが悪い。
③④は本筋と無関係なサイドストーリーなので、あっても無くてもどうでもいい。
最終的に②のカルミラとトリガーの話がメインになったが、それならオーブのようにもっと個人の話に全振りする方法もあっただろう。だが、ティガを再現するという縛りのため中途半端になった。 逆にティガの再現にこだわるなら、三巨人を出すべきではなかった。

ティガの肝は英雄に選ばれた人間が英雄になっていく部分にあったので、3000万年前の宿命をメインにした劇場版ティガはTVシリーズからかなりズレた、別物とすら言えるような話だった。 ティガを再現するために世界中から応援が来るラストが必須なら、三巨人との因縁の外側に、一般市民の視点が必要だったろう。
闇の三バカとトリガーがずっと身内のゴタゴタを続けて、最終話で子供の応援が入るのは唐突だった。「トリガーが市民を守ってきたからこそ、トリガーのピンチに声援が集まる」といった描写が必要だったろう。だが実際は有象無象の隊員が飛沫を撒き散らしながらギャアギャア叫ぶだけ。

結局、表面的なティガの模倣にこだわったのがトリガーの問題だったと思う。大衆を描けない現代のドラマでティガを再現することは土台無理なんだから、遺跡にまつわる設定は軽くして、もっと個人の内面を掘り下げ、エモを中心にしたほうが今風の話になったろう。
現代ではもう、かつてのような共同体が描かれることはなくなった。ヒーローは世界を守るのではなく、目の前にいる顔の見える人を助け、助けた人々の延長線上で結果として世界を救うようになった。それが良い悪いではなく、事実としてそういう時代になった。
そんな現代にティガを出そうとしたら、三巨人を出して、因縁話が主軸になるのはある種必然だろう。それ自体は仕方がない。なら、宿命の重責に押しつぶされそうになるとか、シンプルな成長物語にしたほうが通りが良かっただろう。最低限、スマイルの由来を説明する程度はあってもよかったと思う。
主人公マナカ ケンゴは事あるごとに「みんなの笑顔を守る」と言うが、ここで言う「みんな」は現代にはもう無い。だから言葉が上滑りする。言葉が軽いから、ガッツセレクトが子供のお遊戯会になる。防衛隊がチャチだから、バカみたいに大声で叫んでアピールしないと場が持たなくなる。
守るべき共同体が存在しない現代で防衛隊を成立させるなら、ストレイジのようにお仕事モノに徹するのが解だろう。前年度に正解があるのに、25年前の奇跡にすがるトリガー。ティガが神格化されすぎた弊害とも言える。

〇〇の息子、〇〇出身者といったレジェンドとの関わりが定着したウルトラ、言い換えればレジェンド商法しか生き残る道が無いウルトラにとって、トリガーのようなリメイクは大きな意義があったと思う。が、それはあくまでパッケージの問題であって、昔のおはなしを繰り返すことではない。
設定的にもテーマ的にも、過去のウルトラマンからの脱却を目指したティガ。そのティガの再来を目指したトリガーが、何よりもティガに囚われた結果、ちぐはぐなお話ができたというのは、皮肉と言う他ない。
ティガが神格化された現在では忘れられているが、当時ティガは賛否両論だった。ウルトラマンといえばM78星雲の光の国からやって来たのが定番なのに、宇宙人ですらないとは何事か、といった批判が少なくなかった。伝統あるウルトラマンの中で革新的だったティガは、旧作ファンから見ればあり得ない作品だった。
だが、トリガーはティガの精神を受け継がず、名前を拝借しただけの空っぽな模造品に過ぎない。ティガの力を利用しながら、英雄の心を持たなかったイーヴィルティガのようなものだ。
そんなトリガーがニュージェネレーションティガを名乗るとは、ちゃんちゃらおかしな話である。

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