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物事を構造で理解できない人

「パソコンでDVDを見たい」と母に言われた。
普段使っているノートPCにDVDドライブが付いていることに気が付いたが、DVDを入れても再生されないのだと言う。

原因は3種類に分けられる。

①ディスクの問題 ex.DVDが傷ついている
②ハードの問題 ex.DVDドライブが故障している
③ソフトの問題 ex.コーデックが入っていない

まあ、おおかた③ソフトの問題だろうとアタリをつけ、母のノートを開いた。DVDドライブを見ると、挿入したDVDの名前が表示されている。①②はおおむね問題ないだろう。
てきとうな動画ファイルを再生して、再生ソフト自体は起動することを確認。が、DVDは開けない。

後ろから画面をじっと見つめていた母が、このあたりでスマホを取り出して何かを調べはじめ、「やっぱり再起動しかないみたい」とか「海外のDVDは再生できないのかも」などと言ってきた。
言うまでもなく全く見当違いだが、角を立てたくなかったので適当に流した。

調べてみると、Windows10のメディアプレーヤーはDVDを再生できないらしい。映画やアニメをサブスクで見るようになって久しいので、恥ずかしながら知らなかった。

じゃあ、何か新しい再生ソフトを入れるかな。使用頻度は低いだろうし、なるべくシンプルなほうがいいだろう……。
と、ここで母が「もういい」と言い出した。「なんか時間かかってるし、大変でしょ?もういいよ」と。
この程度の問題すら一向に解決できない不出来な息子に腹を立てたのではない。むしろ、こんな些事で時間を取らせてしまって申し訳ない、といった態度だ。
これまで何を調べていたのか、あと何をすればDVDを見れるようになるのかを説明したが、母の態度は変わらなかった。「いや、本当にもういいから」と言われ、作業は終了した。

PCだとよくわからないので、仮に料理で例えるならこんな感じだろうか。

「おなかがすいた」と言われ、料理を作ることにした。
まずは冷蔵庫の中を見て、レシピを考える。ひき肉と玉ねぎがあったので、ハンバーグを作ることにした。
玉ねぎをみじん切りにして、軽く炒める。横から「ひき肉があるならミートソースが作れるんじゃない?」などと口を挟まれる。(トマトは無い)
炒めた玉ねぎをひき肉と混ぜ、塩コショウを振り、パン粉を加え、牛乳を少々。こねて、丸めて、ペタペタと成型。
さて、焼くぞと思ったところで「もういいよ」と言われる。「なんか時間かかって大変そうだから、もうやらないでいいよ。手間かけさせてゴメンね。ほら、コンビニで弁当を買ってきてあげたよ」

僕はこの件で、非常に腹が立った。理由は主に3つある。

①トンチンカンな口出しをされて鬱陶しかったこと
②あと少しで完了する作業を中断させられたこと
③母が間違った認識に基づいて判断をしていること

①は共感してもらいやすいと思う。単なる思い付きで口を出され、それが何の役にも立たない無意味な内容の時は、「お願いだから黙っててくれ!」と思うものだ。
②も分かってもらえるだろう。たとえ面白くない仕事でも、一度初めてしまえば勢いが付くので続けられるし、中途半端なところでやめるのは座りが悪い。

そして、①②はどちらも③によって発生している。
母は物事を構造で見ることができない。手順で覚えようとする。だから応用が利かず、問題が起きたときにマニュアルから外れると何もできなくなる。
僕も昔はその都度説明をしてきたが、母は一向に覚えようとしない。最初から理解する気がない。もう今では諦めて、「このボタンを押して、次にIDとパスワードを入力して……」など、具体的なやり方だけを説明するようになった。構造を理解したほうが結果的に早いし、目的を設定できるから自分で解決しやすくなると思うのだけど……。

ちょっと抽象的になりすぎた。
例えば、アマゾンのFire TV StickのCMを見た母が、「これを買えばネットフリックスが付いてくるの?」と聞いてきたことがある。
質問の意味が分からなかったので、僕は「ネットフリックスのアカウントを持っていれば見れるよ」と答えた。
母は怪訝な顔をして、「そうじゃなくて、これを買えば、一緒にネットフリックスが入ってるの?」と聞き直してきた。
実はそれ以前にも、母にネットフリックスについて聞かれたことがあり、サブスクの仕組みを説明したことがある。「サブスクとは銀行みたいなもので、アカウントは口座のようなもの。ネットフリックス銀行に口座を開けば、ID=通帳とパスワードで日本中のATMからお金を引き出せるように、PCやスマホから映像を見れるようになるんだよ」と。
仕組みを分かったほうがいいだろうと思ったのだが、何度説明しても母は理解しようとしない。結局、母が必要としていたのはどこにIDとパスワードを入力すればいいのかという手順だった。僕の説明はすべて、大きなお世話だったらしい。

良かれと思ったアドバイスが要らぬおせっかいだった、というのはよくあることだろう。僕もPCでDVDを見れるようにする最中に、無意味な助言をもらったことがある。
しかし、仕組みを理解せずに手順だけ覚えるのは、やはり良くないと思う。
第一に、ミスが増える。手順が多くなるほど、再現するのが難しくなる。全体の構造から見て、それぞれの工程にどのような意味があるのかを理解したほうが覚えやすい。
桃太郎のあらすじを大きく間違える人は少ないだろうが、同じ長さの数字の列を覚えることは難しいだろう。全体図を把握すれば、勘所をつかみやすくなる。
第二に、間違った理解を防げる。仕組みを理解しなければ、理屈にあわないことでも丸暗記してしまう。
「雨乞いの儀式をすれば雨が降る」は間違いだが、雨が降る仕組みを知らなければ、たまたま起こった現象を結びつけて、因果関係があると誤解をしてしまうかもしれない。
原理も分からずに手順を踏んで再現するのは、魔法と変わらない。「IDとパスワードを入力すればネットフリックスが見れる」のは、「呪文を唱えれば雨が降る」みたいなものだ。

偉そうにあれこれ言ったが、正常に回っているのなら仕組みを理解する必要が無いという考え方も理解できる。僕だってスマホの内部やYouTubeのアルゴリズムについて何も知らないが、毎日問題なく利用している。
でも、頼まれた作業を途中でやめさせられては、じゃあ今までやってきたことは何だったの?と思ってしまう。
時間にすれば30分も無い。大した手間ではないが、あとちょっとのところで中断したら、完全な無駄足になってしまう。しかし本人に穴を掘って埋める作業をさせた意識は無く、なぜか申し訳なさそうにしている。申し訳ないと思っているなら、最後までやらせてくれ!

作業が嫌なわけではない。無駄が嫌なのだ。
最後まで作業が終われば、母は見たかったDVDが見れるようになる。母はハッピーになれる。そうすれば、僕と母のいる場の幸福の総量が増加する。
しかし全体図が見えない人間が決定権を持つと、表面の印象や思い込みから間違った判断をして、結局母はDVDを見れず、僕には徒労に終わったガッカリ感だけが残る。僕がした作業は完全に無意味になり、場の幸福量は増えない。

今も母の机の上には、見たがっていたDVDが置かれている。

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