第63回角川短歌賞応募作
歌壇賞で候補になるという結果を出してから角川短歌賞に改めて応募したわけですが、何というかいろいろとダメダメでした。長い連作を編むことにも少しずつ慣れて肌で連作の感覚が少しずつわかるようになってきたはいいものの、まだまだその感覚を習得するには遠いようです。
紺という紺
コンバース履いて出かける弟よ澄みわたりたる生殖のこと
曼殊沙華枯れしを見んとうつむけばわれの五感もうつむいており
のどぼとけふるとふるわす少年の前髪透けて思索ははるか
無人駅めざす舗道に昼の月みえて嫌いな人のいくにん
それとなく頭を撫でて別れたりホームに落ちる小さきミツバチ
あと五分乗れば故郷の境界をぬける電車に揺られていたり
駅地下は必要なくば祈らない人にあふれて 高さは聖さ
新幹線乗り場に靴を履き直し無力とはまだ力のひとつ
あじさいの裏がわを見る心地して寝ている友の携帯が鳴る
席の人みな前を向く車体なら教会めきて真春、風切る
東京駅で買いしボトルの水分が君の水面にかさなることの
Tシャツの英字プリントはためいてやましさばかり目立つ季節だ
嵐山行きの市バスにゆられつつ今は頭痛のつの字のあたり
竹林の道歩くとき竹と竹ならぶ余白がやさしさとなる
ため池のしずまりはてて青なれば四人ヨブ記の時間をすごす
錦鯉ふわりと反りとおのきぬリップはわからないほどうすく
乳白の花の重さの馬酔木枝よあきらめていることの涼しさ
台湾人のおばちゃんが着る和服には青雲たなびいて天龍寺
触れえない闇の浅さの池泉にて後醍醐帝から尊氏公へ
坂に沿う草の道あり比喩という比喩やわらかく拒みつづけて
てのひらに清水飛沫ける冷たさのこれが田村麻呂の悪意か
清水の舞台に西日さしこんで街に一つの余韻はありや
攻撃は最大の防御と友は言う 景観条例の殺意を思う
沈丁花たわわに闇をひらききる午後の終りはそれとなくただ
祇園へと降る夜の雨降るうちは止まざる闇のうちにいたりけり
ぬくみたるアイスコーヒー飲み干して君は動詞の人にあらざり
三日月のひかりをうくる窓際に己が見えざる目蓋はしずか
水の味かぎりなく濃きコーヒーのさやいで朝の無欲がさやぐ
やすらかさ ベッドの皺を直すとき真白は青に見えることあり
いちご大福ひたすらに食むふたりなりここに抒情の隙間があって
四条大橋なかばで君の手をほどく一人称はここにながして
鴨川の留まることのないひかり言葉よりも別の仕方で
青鷺は鋭く在す正しさはいずれも官能となることの
書棚から古書を抜き出す疼痛のそこだけが少し冬に似ていて
参拝の作法を君に教われば神は無性生殖な気がする
たそがれに千本鳥居のぼりゆく文体与えらるるごとくに
それぞれの秘密の分の間隔に三人部屋は仲良くありぬ
濡髪の友が聴くピアノソナタなり月光を聴くことと見ること
君が来て揃うのを待つロビーにて壁の天使に凝視されおり
ひえびえとチェックアウトの署名するインクに鬼は匂いけるかも
自販機のお茶を手渡す誰も彼も死なないように生きているなり
あれは橋、あれは怒り、ひとよ分の客観写生使いけるかも
降り立ちて無人駅をば有人の駅とぞしたる 白々と愛
カットソー明るく着れば早春の陣痛としてわたしは立てり
用水路わたるつかのま立ち止まる神が煙草をふかしたもうか
パトカーに抜かれて歩く愛情と興味のあわい広くとりつつ
星をみて星にみられる弟よ君が処女たることが爽やか
右腕に痣みつけたりいつもより少し遠くに蛙は鳴いて
しめやかに一指ずつ爪切ってゆく重力も恩寵もはるけき
紺という紺のはてなる星空の兄たることの無意味かがやく