「敏感である」ということ

私は星座や数秘術などの誕生日が関係する占いをすごく信じています。
1991年11月7日昼12時半生まれ。幸い母が私が生まれた瞬間のポラロイドを保存してくれていたので、自分が何時に生まれたかまで知ることができました。
占いが好きといっても実はあまりにスピリチュアルに傾きすぎると少し引いてしまうのです。タロットとか透視とか。
でも幽霊も信じてる。変な人間です。

占いの他に、16分類性格の診断も気が向いたときに傾向が変わっていないかチェックしていますが毎回NFPTなので、そんなもんかなぁと思っています。

つまり、私は自分のことがよくわかっていないんだと思います。だから誕生日のように揺るがない証拠に基づいた占いに頼っている。そして16分類性格診断のように、仲間がたくさんいる場に入りたがる。(ハッシュタグ検索してふむふむと読むだけですが)

そして、そういう占いや診断の結果にことごどく「敏感である」という言葉が出てきます。ほとんど全てに。
私は星座(誕生日)がその人の傾向を決めると思っているので、私のチャートに多くのさそり座がある時点で人よりも多くのことを感じなければならないのは運命なんですね。(もちろん育った環境にも左右されますが、誰にも触られないコアの部分は星座によって決まると思います。)

先月辞めた会社に入ってから最後まで、そんな弱っちい自分を隠そうと強いフリをしていましたが結局いいことはなかった気がします。
だったらもう弱っちい自分を受け入れて、人よりものんびりとしたペースで生きていけばいいじゃんと思うようになりました。

だから、きっとこの世のどこかにも何をするにもドキドキしてしまって、人が気づかないことに気づいてしまって、ひとりが好きだけどたまにすごく寂しくなっちゃって、誰かに頼りたいけどそう言えない人がいると信じてこれを書いています。
そんな人たちに「大丈夫、あなたみたいな人間がここにもいるから、なんとか生きていこう」と伝えたいです。

なにポエマーみたいなこと言ってんだって感じですが、そもそもこのnoteを立ち上げた理由がここにあるわけです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?