見出し画像

桜の時

桜がたくさん植えてある公園と長閑な川沿いを散策して参りました。
aikoさんの「桜の時」が流れた方、すいません。素敵な曲ですよね。

いい天気に恵まれました。

まだピークを過ぎていない桜もあり、
私が散策させていただいたところはもう少しだけ楽しめそうな咲きっぷりでした。

建物があって日中は陰になってしまうところに咲いています。

東西南北それぞれに向いている枝。
その先に咲いている桜の花びら。
花びらが散ったら葉が出てきて、また光合成するんですよね。

大きく幹を切られた木でも他の枝が伸びて
しっかり咲いていて生命力を感じます。

今年見事に咲いた花たちは、去年の葉が光合成で蓄えた栄養分を用いてつくられた花芽たちが成長したもののようです。

過去の頑張りや蓄えが、厳しい冬を越えて、今実を結んでいる例を見せてくれているようで好きです。

学校の教室の窓が南向きに作られているのと同じような理由で、光合成をするなら南向きが比較的朝から、夕方までの長い時間、採光することができて光合成に有利かなーなんて思っていたのですが、よくよく考えたら一本の木が一つの生命体なんですよね。

葉が生えた時に、光合成量で見たら、「南向きの〇〇が稼ぎが多い」とか「北向きの△△が稼ぎが少ない」とかがあるかもしれないけど、
全ては一つの生命体として命を繋いでいくための行為であって、枝葉が個別に富を蓄えるとか幸せになるとかの次元ではないんですよね。

あくまで想像ですが、
「本当は南向きに生えてきたかったのに・・・!」なんていう愚痴や
「北向きの奴らはいいよな、ノルマが少なくて」という愚痴はなく、(あるのかな?)
生まれてきた場所で自分のできる限りのことを生命の存続のために(それすら思っていない?)淡々と行っていくのだろうなと感じています。
「もうこの場所に飽きたから、コンバートしてくれない?」なんてことは言わずに(おそらく)。

北向きに生えている枝たちも、少しでも葉が太陽光を吸収しやすいように枝を空の方向に伸ばしたり、枝を捻って角度をつけてみたり、水面近くでは逆に水面からの反射光を求めるように下に向かって枝葉を伸ばしたり、様々な工夫をしていることと思います。


枝も、葉も、自分の生まれた場所についての不満や「隣の木は立地が良くていいよな」なんて愚痴も言わずに、(言っているかも知れませんが。そうゆう桜があってもいいかも知れませんね。)「その環境で自分ができることを最大限やる。」
かっこいい生き方だなと思います。

あれがない、これがない、と嘆くのではなくて、
持って生まれたものを生かして、
「今を精一杯生きる」
ということの大切さを改めて教えてもらった気がする散歩でした。

青空に花が映えていました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


サポートしていただけたら、実験用具を買うか、実験用の薬品を買うかまだ決めていませんが、生徒さんたちと授業のために使いたいと考えています。