見出し画像

#102 状況に依存し変化する非認知能力

非認知能力の可変性

『世界経済フォーラム(ダボス会議)』において「ビジネスに必要なスキル」が発表されて以来、非認知スキルが再び脚光を浴び、ビジネスの現場だけでなく、教育界でも非認知能力の開発や育成に関する教育プログラムの実践が進んでいる。

以前にもnoteで取り上げたが
非認知能力(non-cognitive skills)は状況に依存しやすく、個人の能力として絶対的な固有性があるわけではない。

向き合う相手や協働する仲間がどんな特性をもった人であるかにも大きく左右される。

人間には認知機能が備わっており、これを駆使しながら日常生活や学習事項を知覚したり、記憶、理解、想像、推論、判断している。
ふだん、私たちはそんなことを意識下に置きながら考えているわけではない。

これまで私たち教師は、目の前にいる生徒が「どうして上手くいかないんだろう」と悩み立ち止まった時、あるいは何らかのトラブルを起こしたり巻き込まれたとき、
「さて、この子をどうフォローしていこうか」
と考え、その子の非認知能力のことをあれこれ評価し分析することをしてきた。(例えば、コミュニケーション能力について一方的な評価や目に見える印象だけで)

非認知能力の存在を可視化しようとしても、定量的・絶対的な基準があるわけではないだけに難しいと感じるわけだ。

現在、この分野の研究が急速に進んでいる。
ここ数年のバズワードにもなっている。

根本の認知機能(知覚、記憶、理解、想像、推論、判断など)をしっかりと鍛えたうえで、それを非認知能力に生かす取り組みがされなければ、非認知能力を育成したり伸ばしたりすることができないとされている。

ちょうど教職専攻の学生たちと議論している中で、この話題が出てきたので、改めて整理する資料をつくった。

非認知能力は高ければ高いほどよいかといえば、必ずしもそうとはいえない長短の両義性がある。

例えば、
我慢強いとか忍耐力が高ければ高いほどストレスがたまりやすい。

自信があればあるほど過信が生まれやすい。

誰とでも仲良くなろうとすればするほど自分の主張をなくそうとする。

IQや学力のように数値化できる認知能力は客観的でわかりやすいのだが、非認知能力は「見えない力」であると同時に、場面に応じて適量エネルギーで放出するとか、加減をはかる能力とか、柔軟に対応できることも含めて考えることであり、これがなかなか厄介なわけである。

空気を読み損なうと、鬱陶しい、ウザいヤツと評価されてしまう危険性もある。

自己崩壊することだってあるだろう。

映画「ターミネーター」のアンドロイドT-1000のように、状況に応じて液状化してさまざまな形状に変身し、AIの力を借りてその時点での最適な意志決定と行動ができるようになればいい・・・・と妄想しても意味がない。

非認知能力は他者との関係性や、自分が置かれている状況によって生じ可変性が必要な能力であり、プラスにもマイナスにも評価される可能性が潜んでいると言える。

そうしたことも含めて、児童生徒とどう向き合い、どんな指導を心がければよいのか、学生に意見を出してもらうことにした。

学生たちの中には初めて聞いたという者もおり戸惑っている。

そもそも、非認知能力とはどういうものなのか。
そして、私たちが手がけてきた学習能力の開発プログラムのように、意図的な仕掛けをつくってそれを用いることで効果が上がるのか、といったことを学生と共に考えていくことにした。

「感情への働きかけをどうするか・・・・・」
そんなことを言った学生のヒントを切り口にするのも面白い。

いま、全国の学校で教育実践が広まりつつある「スクールワイドPBS」(School-Wide Positive Behavior Support:学校版積極的行動支援)と連動させるとよいのかもしれない。

感情のコントロール。
児童生徒だけでなく、教師の感情も含まれるだろう。

抽象的な教育目標ではなく、
具体的な行動指標を考えるよう宿題を出した。

私自身も、教師をめざす大学生の非認知能力の育て方、伸ばし方を考えると同時に、新しい時代環境における教師のメンタルサポートについて研究を深めなければならない。