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#40 人間同士のわかり合えなさをAIはどこまで仲介してくれのるか

昨年、ドミニク・チェン著『未来をつくる言葉  わかりあえなさをつなぐために』を講義で扱った。

本書は、氏が述べているとおり、コミュニケーションにおける彼の私的な問題意識とコロナ禍で湧き上がった社会的な問題意識が交差する文脈の中で生まれたものである。

改めて著書の余白や行間から感じ取れるものがあると思い、気になるところを読み返し、新学期の講義でも取りあげようと思っている。

◆AIに任せらることと自分でやるべきこと

AIを使ったコード生成ツールの開発が加速している。

高性能な言語生成アルゴリズムとしてGPT-3が登場して以来、どんどん進化しているが、現時点では、何もかもアルゴリズム任せにできる水準に達しているわけではない。

GPTは1、2、3と進化してきており、とんでもないことになるかもしれない‥‥

ChatGPTを皮切りに加速するチャットボットの開発は、新たな「検索戦争」とも言われている。

私の講義では、「マーケティング」や「マネジメント」、あるいは教育におけるAIの可能性を学生と共に学ぶ機会が増えている。

人間の心理と行動特性を分析し、それに基づいて、言語生成、文章作成の精度を高めることによって、「面白い話」や「売れるコピー」「モノやサービスを買いたくなる動機」などを新たな手法で生み出すことができるようになるのかもしれない。

♪もしかしてだけど、もしかしてだけど、
AIが人々の「分かりあえなさ」を解消してくれんじゃないのー♪
と歌いたい気分になる。

学生は言うだろう。
「センセー、歌はいいですから、講義を真面目にやってください!」

私が「スベらない話」をAIに任せる日は近いぞ。

いずれ学生たちは、AIの機能をフル活用して「探究学習の論文作成とプレゼンをさっさと終わらせて、ゲームを楽しもう!」となるのだろうか。

小学生みたいな私の思考よりも、論理に一貫性があり説得力ある論文を提出する学生がそこらじゅうに溢れている状態を想像してしまう。

そうなると、教師は何をどう評価すればよいのだろうと不安になる。

提出されたレポートや論文をAIに評価させれば、私もさっさと評価作業を終わらせて、ゲームに集中できるということか?

その先にあるのは何か。

私の授業評価や勤務評定がAIで正確・厳格に判定された瞬間、教員生命が絶たれるかもしれない。

これは由々しき問題である。

Catchy著『AIが「答えの出ない問題」に答えてみた。』/クロスメディア・パブリッシング の紹介記事に以下のような例が出ていた。

聖徳太子が内閣総理大臣だったらどう答えるか、というものだ。

どうしたら貧困率を下げれるでしょうか?
 貧困の削減は複雑な問題であり、万能の解決策は存在しません。しかし、私はいくつかの戦略を並行して実行することで、貧困率を効果的に削減できると信じています。最も重要な戦略は、すべての人が教育を受けられるようにすることです。教育は技術や知識を身につけるのに役立ち、個人にとって有益な雇用の機会を提供することができます。

AIが聖徳太子の業績や思想に関するデータを収集したら、こういう回答になるということなのだろう。

日本の教育の歴史を遡ったとき、国家を支えるために教育の意義や必要性を見出したのは聖徳太子が最初だろうという文献がある。

仏教的な「平等」の概念や、彼が制定した『十七条憲法』の第一条に出てくる「和を以て貴しと為す」の背景にある彼の思想は、『論語』の中に出てくる「礼之用和為貴(礼の用は和を貴しと為す)」ではないかという説がある。

これも聖徳太子が受けた教育の成果なのかもしれない。

約1400年前の話が今もなお息づいて高く評価され、AIが引用しているわけである。

先人が遺した偉大な知恵を、AIがどこまで絶妙な表現で意訳できるかどうかは分からない。

人間なら、持っている教養をフルに活用し行間を読み取り、学習者の発達段階に応じた表現に変換するだろう。

AIが導き出した答えを読むにつけ、貧困問題に限らず、世の中のあらゆる課題を解決するために必要な考え方が見えてくる。

「何事に取り組むにしても、みんなが仲良くやって、いさかいを起こさないことがいい社会を築いていけるんだぜ」
ということなのだろう。

自己の意見に執着したり押し付けたりせず、互いの考え、意見に耳を傾け、時に他者の意見を受容することによって一定の結論を導き出すことができる、と。

こうした考えが一般に定着すれば、AIはさらにディープラーニングを重ね、抽象化された概念を平易に意訳し、それを重層化させていくのだろう。

人間の脳はいろいろなことをインプットし記憶できるが、記憶の引き出しの奥にしまわれて、なかなか思い出せず、やがて忘却の彼方へ消えてしまうことも多い。

私は、昨日の夕飯で何を食べたかすら思い出せない。

AIは記憶容量と検索能力、処理速度に優れているので、逐一、データのレイヤー(layer:層)の積み重ねを繰り返し、概念を重層化できる。

今から20年ほど前の映画を思い出した。
『マイノリティ・リポート』(スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演)だ。

その後、リアルな世界で新技術が開発・商品化されるたびに、この映画の近未来予測の秀逸さが話題になっていた。

予測していたテクノロジーの未来への到達時間がどんどん短縮化されている。

空間で操作できるホログラムによるプレゼンが早く実用化されるといいなと思ったものだ。

今の子ども達が迎える20年後、30年後はどこまで進化しているのだろう。

このような時代にあって、未来を担う子どもたちにどんな力を身に付ければよいのだろう。

◆ことばの共有

私は「ことば」が命だと思って生きてきた。

人は、さまざまな言葉を駆使して、事実や真実、正義を語り、理解を求めたり、心を惹きつけたり、時に激しく反発を招いたりしている。

同じ組織内で、一見すると同じ志をもって働いているように見える人々が、実際には多様な考え方や事情を持ち、そこでさまざまな利害調整(理性と感情の調整)をしながら仕事をしている。

そこではやはり「ことば」が重要な意味を持っている。

どこにポイントを置くか、どの側面からアプローチするかによって、言葉の持つ意味が変わり、いくつもの真実と正義が存在する。

「正義は人の数だけある」

正直、めんどくさいなと思うことがある。

AIなら、労をいとわず最適解を導き出してくれるのだろうか。

困り事、難題はぜんぶAIに判断してもらい、人間はそれに従う。

『AIの下僕 ~ その正しい生き方』」がハウツー本で売れるとか・・・・・・

人間の多様性や文化の多様性を尊重するということは、絶対的なものは存在しないはずなのだが、AIはその領域にも踏み込んで、落としどころを見つけようとしはじめている。

「人間の態度」に近付こうとしているわけだ。

大谷翔平は好青年として世界から賞賛を浴びている。
AIの大谷翔平化はイケてるな・・・・・

我々を取り巻く社会は、すべて「 ことば 」で規定されていて、それを子どもたちに伝承している。

教育の重要な役割でもある。

学校は非日常的な空間である。

すべての事実を示すには限界がある。

物事の実体を示すのではなく、かなり抽象的な言葉を織り交ぜながら知識を提供し、理解を求めようとしている。

これまで、体験の乏しい未発達な子ども達に向かって、実体験の伴わない専門用語や難解用語を押しつけて知識の伝達に努めてきた。

高校教師だった頃、私たちは同じ問題意識や価値観を持って学ぶことができているのだろうかと疑問に思うことがあった。

今もそうだ。

「先生、わたし努力しました!すごい頑張りました!」

「いいや、君の努力は努力のうちに入らない 」と言ってしまったことが何度かあった。

お互い、「努力」という言葉の概念や、努力に費やす熱量をどれだけ持っているのだろう。

実体験と言葉の概念にどれほどのギャップがあるのか。
案外、大人と子どものすれ違いはそんなところにあるのかもしれない。

しかし、そういう体験も知識がなくとも、AIが仲介してくれるとしたら・・・・

国家、人種、ジェンダー、言語、思想・信条、宗教等から生み出される「分かりあえなさ」の仲介者・翻訳者としてAIに期待できることがあるかもしれない。

AIとの共生によって、新しい人類の共生や自然との共生の在り方が見出される日が来ることを願っている。