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#69 学びの結び直し

今春、東大の藤井総長が学部入学式の式辞で「学びを社会と結び直す」をキーワードにして、AI時代の大学の学びの在り方を述べた。

学長式辞

それをきっかけにして、各大学では
「さて、生成系AIの活用をどうする?」
といった雰囲気が急速に醸成され、各種会議で意見を求められたりもした。

学生向けに「生成系AIの利用について」という通知も発出された。

いくつかの大学の規程を参照したが、その内容には格差がある。

基本的には教務上の利用規程であり、著作権等の法的なものからモラルに訴えるものまである。

それをChatGptに比較検討させたら、各大学のメリット、デメリットを指摘してくれるのが面白かった。
なるほど、情報収集し、比較照合し差異を示すことは得意なんだ。

表計算の関数やプレゼンスライドは、適切なプロンプト(指示や質問)であれば、しっかりしたものが作れる。

■コミュニケーションツールとしての活用

いま世の中は、これまでの会話や対話の量や質だけでは対応できない変化が起きている。

学生たちは時代の変化に適合した、より高いコミュニケーション能力(聞く、話す、読む、書く)を身に付けることが求められている。

しかし、大学におけるリテラシーと実社会で必要とされるリテラシーは必ずしも一致していない。

以前にも書いたが、正しいやり方でやれば勉強の努力と成果(得点)は相関する。

でも、勉強型努力を就活に変換しても、それが成果(内定)と相関しないことが多い。

学力や学校のブランド(偏差値)とは別な競争原理もあるということだ。

就職できたとしても離職率は依然として高い。
新たなキャリア形成やキャリアアップをめざしてポジティブ転職するならいいが、離職理由の上位に来るのはそうではないケースが多い。

「非認知能力の向上を!」と言われても一朝一夕に身に付くものではないだけに厄介なのだ。

そんな現実と向き合いながら、生成系AIを使って、学生たちに何を学ばせるかということを春からずっと考えていた。

ChatGPTの使い方は習得できても、教育活動の中にそれをどうかませたらよいのか、つまり、何を目的に使うのか(使えるのか)、どんな能力を育てたいのか(育てることができるのか)といったことが、私自身、モヤモヤ感満載だった。

昨年11月にChatGPTの試作版が公開された時点で、大きな衝撃が走ったものの、学内では 「 凄いものができたけど、まだまだ先の話ですね・・・」
などと呑気なことを言っていたくらいだから、当然、教授会や学部会議等で深く議論することもなかた。

しかし、年が明けて短期間のうちに、有料版の「GPT-4」が公開されたことによって、にわかに騒々しくなった。

「どうする?どうする? どうなるんだ?」

幸いにして、全国的に大学の教員のFD(Faculty Development)研修と、職員のSD(Staff Development)研修が制度化・義務化されたので、全学体制で情報共有や意思統一ができるようになったのはありがたかった。

「大学設置基準等の一部を改正する省令」(平成28年文部科学省令)を踏まえて定義すると次のような内容になる。

Faculty Development
大学教員の教育能力の向上を目的に教育内容、方法、研究、研修等を大学全体として組織的に取り組む活動

Staff Development
教育研究活動等の適切かつ効果的な運営を図るため、事務職員、技術職員、教員を含むすべての職員を対象に、必要な知識及び技能を習得させ、並びにその能力及び資質を向上させるための活動

大学改革が加速する中、技術革新に抵抗していると取り残され淘汰されていくことは明白だ。

どこかの芸能事務所の新社長の話じゃないが、自分に社長という職務が「できるか、できないか」ではなく、「やるか、やらないか」の二者択一で「やるしかない」という流れになったようなものだ。
例えになっていないか・・・・

頻繁に生成系AIの専門家の講演と研修を重ねることで、ぼんやりとしていたことが少しずつ輪郭が見えてきた。

やったことがないのだから、試行錯誤を繰り返すことになるだろう。

学校教育におけるインターネット導入期も、携帯電話校内持ち込み許可も、慎重論が強かったが、今となってはバカバカしい議論だったと思うが、通らなければならない道だったのだと思う。

新しいことを受容し導入する速度はスピード化している。

現時点におけるAIは、バイアスのかかった情報を提示したり、ヘンテコな文章を作り上げることもままある。

院生や教授・准教授などの研究者が書いた論文を学会の専門家が査読するように、学生は自身が生成系AIで作り上げた文章を土台にしながら、オリジナルの論文を書き上げ、それを自身でしっかりと査読する力が必要になる。

一次情報の書籍・文献等にあたるよりも、あらゆるタイプの思想・信条や学究的論文が一気になだれ込んでくるので、最適な選択や組み合わせをするとなると、高次の認知能力が必要になる。

先行事例を見ると、利用者のリテラシー向上が見られるという報告もある。

大学における目的と目標を明確にする必要がある。

リチャード・ウィリアムの『漂流する大学教育』から10年以上が経過した今、果たして生成系AIで大学生のリテラシー向上は実現できるのか。

いや、他人事ではないな。
私自身の「学びの結び直し」が重要な課題だ。