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#74 学校教育で育む「能力」ってなんだ? 前編

■与太話から始まった「問い」

昔の教員仲間4人で飲み会を開催した。
結論のない与太話かもしれない。
いや、みんな意外に真剣だった。

日頃から思っていることをちょっとボヤいてみた。
現役高校教師3人もボヤきはじめた。

「俺たちは一体、どんな生徒を育てようとしているんだ」

「後輩教員の育成も考えなきゃいけないんですけど、なんか感覚にズレがあるんです。自分も至らない青年教師だったけど・・・・」

「国が掲げている “ 子どもたちに身に付けさせる 能力 ” って、あれもこれもと多くないですか?」

■モヤモヤの正体

教職志望の学生は、自身の教科の専門性を高めながら、教職教養や一般教養に関しても勉強している。

採用試験を前提にした「認知能力」と呼ばれるコンテンツベースの勉強をせざるを得ない。

現役教師だって日々、知識をアップデートしている。

「暗記や知識詰め込みに特化したお勉強からの脱却を!」
「ペーパーテストだけで評価するのはダメ!」
と言っても、一定の知識がなければ思考力も働かないし解も得られない。

「関心・意欲・態度、思考力・判断力」が先か、「知識」が先かという議論ではなく、相互作用なのだと思う。

『シラバス論』芦田宏直 を読んで腑に落ちた事柄がある。

「関心・意欲・態度」「思考力・判断力・表現力」は結果であって、目的にするほどの固有性はない

『シラバス論 大学の時代と時間、あるいは〈知識〉の死と再生について』 芦田 宏直 2019年


日々の教育活動では、 “ 見えない力 ” の重要性についても説いている。
「非認知能力」と言われるコンピテンシーベースをどう鍛えようかというのは重要な課題だ。

ワークショップでワイワイガヤガヤとやりながら、
そもそも「能力」とは一体何なのか、どう身に付け、どう使うものなのか・・・・・と。

根源的なところを深掘りして学生達と一緒に考えている。

私が大学に招かれた理由はそこにあるのだと受け止めている。

大本営発表に従えば、

文部科学省「新しい学習指導要領が目指す姿」

これらを子どもたちに身に付けさせるのが学校教育の役割ということになる。

その他にも細々とした目標や施策があり、「個別最適な学び」「協働的な学び」が掲げられており、これが各自治体の教育委員会レベルに下りていくと、地域特性に応じた目標がずらりと並べられている

策士、策に溺れる・・・・などということがあってはいけない。
肝に銘じておこう。

これら「育むべき力(能力)」は、単体で身に付けるものではない。
単体で発揮されるものでもない。

人が何かに取り組むときは、もてる能力を相互に関連させている。

しかも、人の能力というのは、集団の関係性の中で発揮されている。

「能力の共同性」というやつか。

あっ、1,000字を超えました!
能力不足で簡潔に書けそうもないので、ここで一端終わります。

次回へ続く。