#18 教育の物語性
若い頃は、生徒を「管理・統制」することを旨としていた。
それが絶対であり正義だと思っていた。
でも、上手くいかないことが日常の中にあふれていた。
あの先輩は上手くできているのに、なぜ自分はダメなんだろうと自分に鞭打つようなこともあった。
生徒指導力は教科指導力とあわせて何よりも身に付けなければならないスキルと言われ続けてきた。
ダメ出しされることもあり、何をやるにしても、どう振る舞っても、教師としての力量が問われているような気がして、上司や先輩の目、生徒、保護者の目が気になった。
「見えない力」と呼んでるだけに、なかなかその正体をつかめずに、いろんなことを試しながら、歩みを進めてきた。
気が付けば、管理職になって偉そうなことを言っていた。
「どの口が言ってるんだ!」と、言われやしないかと思ったりもしたが、人は失敗と反省によって成長するのである(~_~;)
高校教育の最前線から離れた今も、教職をめざしている学生達と語り合いながら、これからの時代に必要な考え方を何とか言語化しようとして日々格闘している。
AI( 人工知能 )がもたらす社会構造の変化が指摘されている。
産業のあらゆる分野のシステム制御が、高度に合理化・統制化され、感情労働の分野にまで容赦なく浸透している。
各種機関の調査「スマホの1日の使用時間」を見るにつけ、私たちはデバイスの奴隷になっているのかもしれないと思ってしまう。
学校教育は「自立・自律」や「道徳」「理性」を重んじ、教師は子ども達の感性を磨きバランスのとれた人格を形成しようと努力している。
やり方に絶対解は存在しない。
学校によって、地域によって、生徒集団によって対応の仕方は異なる。
別解があるということだ。
高校は小中学校と異なり、“入試”というフィルターを通して、均質化した集団になるように選抜できる。
新たな時代に突入し、「令和の日本型教育」が示されたものの、そこに新たな管理・統制の力が見え隠れする。
一方では、各種のオルタナティブ教育が流入し、選択肢が増えたかのようにも見える。
マルトリートメント(体罰や虐待、高圧的な言葉、不用意な言葉による不適切な子育て・教育)の問題もクローズアップされている。
いろいろな学びのスタイルが提唱され、教師は「人は人の中で成長する」「だから集団で学ぶ学校教育が重要」という信念に基づいて、不登校やひきこもりが発生すると、何とか学校へ引き戻そうと必死になる。
気が付けば、こじれた状態になり悪化するケースであふれかえっていた。
現在は、不登校は学校に再適応すべきであるという言説も支配的ではなくなってきた。
不登校という「選択肢」もあるという考え方だ。
オルタナティブ(例えばフリースクール)は正に彼らの学習保障の機会と場になっている。
今まで紡いできた「教育の物語」では通用しないのだろうか。
教育における物語の紡ぎ方を問い直すときが来ているのかもしれない。
今や、子どもたち自身が「教育のあるべき姿」「未来の教育」を語り、デザインする時代である。