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#294 プロフェッショナルの覚悟と葛藤(チンパンジーの講演より)

中・高校の若手教員(20代~30代)向けの講演会。
教育関係からの依頼は、30有余年の恩返しの意味を込めて優先的に引き受けている。

学校教育をベースにしつつ、公共組織のマネジメントやマーケティングのこと、教職員や生徒との向き合い方、言葉の合わせ方、心の合わせ方などについて話した。

講演後の質疑応答。
「パワーポイントのファイルをいただけませんか?」
報告レポートを課されていて資料がほしいとのこと。

「メモをしっかり取ってください」と言うべきだったのか?

「ポイントはこれです!メモしてね~」
「最重要キーワードはこれ!パワーワードはチェックしましょうね~」
「ハイ、ここ大事!試験に出ますよ~」

結局、私のクラウドへアクセスできるQRコードをつくってスクリーンに表示し、それを各自のスマホで読み取ってもらった。

講演は一期一会の真剣勝負だと思っている。


印象的だった質問をひとつ。

<質疑>
「学校という狭い世界で生きていて、経験したことのない未知のことに対して、生徒達をどう導いたらよいのか迷うことがあります。
教科指導もいろんなレベルの子がいて大変ですし、生徒指導も葛藤の連続です。
先生はどうされてきましたか?」

<応答>
教師に限らずどんな職業も「覚悟」が必要ですよね。

私は今も葛藤しています。
この講演も、アレを言おうか、コレは言うまいかと・・・・笑

迷うこと、葛藤することは、そのまま学ぶこと、汗を流すことにつながります。

私にも経験できないことや知らないことが宇宙のようにどんどん膨張しています。

他者との対話や読書を重ねれば、それが間接的な体験や気付きになり、見聞を広めることになると思うんです。

他人の知識にアクセスして自分の知恵に転換する作業は生涯にわたって続きます。

先生方は多忙の中、時間管理が大変ですよね。
タイムマネジメントの究極は自分の時間を創出することだと思うんです。

「助けてください!」「教えてください!」と言う勇気も必要でしょう。

チームプレイには相互扶助の精神も必要です。

教師は、生徒からも保護者からも「先生」と呼ばれていますが、無意識下でプライドが高くなっているのかもしれません。

教師同士で「○○先生」と呼び合うとか、自分のことを「先生は・・・・」なんて言ってみたり、どこまでも「先生」という立場を意識しています。

生徒を導く教師なのに弱音を吐いたり、助けて、知らない、と言うのが恥ずかしいと感じてしまう。

自分で自分を「先生」と敬う呼称を使うって・・・今はそういうことに違和感とかないんでしょうかね。

プロフェッショナルとしての自覚の問題だと思うんです。

私が「言葉にこだわる」とお話しした意味は自分の意識をコントロールするということです。

教師って仕事は何なんでしょうね。

教育の使命には、子どもたちが社会の変化に対応していく社会効率主義の考え方と、社会変化を生み出す社会改造主義という二つの考え方があると言われています。

どっちも大切ですよね。

教科の教員として考えた場合、教科の学びを日常生活の文脈に落とし込むことで現実社会の問題解決へつながると思うんです。

あなたが担当されている数学でいえば、微分・積分が好きとか嫌いとか、難しいというレベルを超越して、物事の見方、考え方、思考法を学ぶのが微積じゃないですか。
本当は面白いんですよね。

「○○という教科は社会へ出ても役立たない」と口にしてしまう生徒を生み出しているとしたら、それは、教師の責任だと思います。

自ら言ってしまう教師もいますが、それって自己否定じゃないだろうかと思います。

存在価値も意味もない教科なんてひとつもないですよ。

オーセンティック・・・・ホンモノというんでしょうか、信頼できるホモノの授業をやっている教師というのは、覚悟と共に確固たる「自分のことば」を持っています。

私も魂の授業を目指していますが、まだ志半ばです。

あなたが担当されている教科の学びは、子どもたちが社会を変革するための武器になるんです。

あなたの葛藤は、私の葛藤であり、もっと言えばみんなの葛藤です。

人間は、自分を守ろうとして利己的で自分本位な内向きな力が働くのが普通です。

それを打ち消そうとして他者との関わりや対話による外向きの力が必要なんですね。

数学でいうベクトル(笑)

生徒も教師も葛藤しています。
いいじゃないですか、人間らしくて。
みんなで葛藤しましょうよ(笑)
私もそうします。


後日、聴講された方々から個別にお礼のメールをいただいた。
日ごろ聞けない話が聞けてよかった、救われた、と。

日頃、どんな話をしているのだろう。
まさか、救いようのない話ばかりしてるわけではあるまい。

みんな、心に余裕がないのかな。

日常的に学生たちにこういう話をしている私は、ウザいと思われているのだろうか。